旅客機:その他のナローボディ機

2012年10月24日 (水)

旧JASグループの旅客機

旧JALに引き続き、旧JAS。
具体的にはJASとJAC。HACは、最終的にグループを離脱したので含めなかった。

なお、JALとの経営統合の経過は次の通りである。
  2002年10月 共同持株会社設立(経営統合)
  2004年04月 日本航空ジャパンに商号変更、全便JAL便に
  2006年10月 JALに吸収合併

グラフは、
  コミューター機(80席未満)
  国内線向けの双発ナローボディ機
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材
という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

なお旧JASグループの場合、A300B4とA300-600に国際線仕様があったが、運用時期が判然としないので国内線向けとして集計している。

旧JALグループの現有機材は、JALとの合併後に一挙に整理が進み、2012年4月時点で、コミューター機22機, 1,200席、国内線向けナローボディ機13機, 2,000席、国内線向けワイドボディ機7機, 2,600席、国際線向け機材なし、合計42機, 5,800席という陣容である。

Jas

コミューター機は、JACが運行している。
JACは、1983年にDo228, 2機で運行を開始した。その後JASからYS-11を路線ごと移管を受けた。
1992年から、Do228をSaab340Bで置き換え、1995年4月時点では、YS-11とSaabの2機種による18機の陣容となった。

その後、Saabの増備を続ける一方、経営統合後の2002年よりDHC-8-400の導入を始め、YS-11を置き換えた。
2012年4月現在、DHC-8-400が11機、Saab340Bが11機、合計22機の陣容である。
シンプルな置き換えと、フリートの拡大である。

Jascommuter

ナローボディ機は、YS-11からスタートした。その後、行政指導でJALに召し上げられていた727が返還されるが、当時のTDAは2名乗務のDC-9を選択し、1980年4月時点では、この2機種による64機のフリートが形成された。ナローボディ機の機数のピークは1980年から82年の3年間で、席数的にもその後と遜色のない規模に達していた。

1981年からDC-9-41のDC-9-81への置き換えが始まり、YS-11も若干数を減らし、1985年4月時点では、3機種による57機の陣容となり、機材の大型化が始まる。
1985年からはDC-9-81と同型ながら新世代のコクピットを備えたMD-81の導入が、また1988年からはMD-81と同世代で短胴のMD-87の導入も始まったが、これらはDC-9-41を置き換えるというよりは、YS-11をジェット化、大型化するという意味合いが強いようだ。またこの間、JACへのYS路線の移管が始まった。1992年4月時点では、5機種による55機の陣容となった。

その後、DC-9-41/81の置き換えが、MD-81の増備、MD-81をグラスコクピット化したMD-90の導入で進められ、2000年から2007年の8年間、MD-81/87/90の3機種による42機体制が続いた。

JALへの吸収合併後、まずMD-87が早々に淘汰された。次いで一部がJEXに移管されたMD-81が淘汰された。そして最後にMD-90の淘汰が現在進められている。
この間JALでは737-800の大量増備が行われているが、737-800はこれらMDの3機種, 42機に加え、JEXの737-400, 8機も置き換えており、MDの3機種の一部は削減対象であったことがわかる。

Jasnarrow

ワイドボディー機は、かつては45/47体制の下で国内幹線への就航に制約があったこともあり、JALやANAより導入時期が遅く、1980年より始められた。
機種はエアバスのA300で、B2型、B4型、600型と一貫して増備が続けられ、JALとの経営統合前までに、3機種合わせて36機が導入された。これらの一部は国際線にも運用された。
また、1996年からはA300と平行して、777-200が7機導入され、2000年から2002年の間は、これら4機種による43機の陣容となった。

JALとの経営統合を経て、まずB2/B4型3機が600型で置き換えられ、その後B2/B4型が順次削減されていった。JALへの吸収合併後の2007年4月時点では、A300B2/B4の淘汰が終わり、A300-600と777-200の2機種による29機の陣容となる。
この状態が、JALの会社更生法申請の2010年まで続いた。しかし、その後2011年までの1年間で、22機のA300-600が一挙に淘汰され、2012年4月現在、777-200の7機に整理された。

Jaswide

最後に国際線向けの機材。
JASは、45/47体制の崩壊を受け、1988年より国際定期便に就航した。当初はA300B4の一部に国際線仕様を設定したが、同時に長距離の路線就航に向けて、DC-10-30を2機導入した。
しかしDC-10を生かす路線開拓が思うように進まず、後に傘下のハーレクィンエアによるチャーター運用などを経て、2000年までに退役した。


全体として眺めると、1970年代から1980年代前半はYS-11とDC-9による基礎固めの時代、1980年代後半から1990年代前半はワイドボディ機の導入期、1990年代後半から一挙に拡大を図ったが、2000年代に入り破綻し、JALとの統合に至った。1990年代後半に一挙に拡大路線に転じていた事が、2000年代の環境変化への対応を困難にしたと考えられる。
統合後のJASの処分は、JACの路線と機体、MDが飛んでいた地方路線(機体は737-800へ転換)、そして777-200の機体の3つを残して解体されたと見る事ができよう。

2012年10月22日 (月)

旧JALグループの旅客機

ANAに引き続きJAL。
まずは、JAS, JACを除いた旧JALグループ。具体的には、JAL, JEX, JTA, J-AIR, RACの5社。

グラフは、
  コミューター機(80席未満)
  国内線向けの双発ナローボディ機
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材
という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

なお旧JALグループの場合、767-200が国際線・国内線共通機材であったが、国内線向けとして集計している。

旧JALグループの現有機材は、2012年4月時点で、コミューター機24機, 1,400席、国内線向けナローボディ機48機, 7,600席、国内線向けワイドボディ機35機, 11,700席、国際線向け機材64機, 約14,800席、合計171機, 35,600席という陣容である。

Jal

コミューター機は、J-AIRとRACの2社が運行している。
J-AIRは、1991年に前身である西瀬戸エアリンクのEMB-110, 2機をジャルフライトアカデミーが引き継いで発足したが、早々にBAe Jetstream, 5機に置き換えられた。2000年からこれをCRJ-200, 9機で置き換え、2008年からERJ-170, 10機を増備している。

RACは、1987年に独立会社として運行開始後、1991年にJTAの傘下に入った。当初はBN-2, 2機であったが、1992年にSWAL(後のJTA)のDHC-6を路線ごと移管を受けた。1997年から、DHC-6をDHC-8-100, 4機で置き換えるとともに、DHC-8-300も1機導入した。BN-2は、2009年に退役した。

2012年4月現在、ERJ-170が10機、CRJ-200が9機、DHC-8-300が1機、DHC-8-100が4機、合計24機の陣容である。
今後は、ERJ-170の増備が予定されている。

Jalcommuter

ナローボディ機は、45/47体制の下、1995年まではJTAのみの運行であった。
JTAは、1970年時点ではYS-11のみであったが、1978年から737-200の導入を始め、1994年からは737-400を導入し、先の2機種を置き換えた。

JALは1995年から737-400の導入を始め、1998年より運行の主力をJEXに移管した。2006年より737-800の導入を始めた。737-400はJTAに移管し、JTAの中古導入機を淘汰した。2008年から737-800の怒濤の導入が続いているが、これにはJASのMD-81/87/90の置き換え分も含まれていると考えられる。

2012年4月現在、737-800が32機、737-400が16機、合計48機の陣容である。
今後は、737-800の導入が続くが、2013年で一段落しそうである。737-400は、一部の退役が予定されているほか、置き換えは繰り延べとなっている模様である。

Jalnarrow

ワイドボディー機は、かつては45/47体制の下、JALの国内線の主力であった。
1970年時点では、CV-880や727-100が中心であったが、DC-8-61での置き換えが急速に進み、1976年4月時点では、DC-8-61を主力に、747SRも加え30機の陣容であった。727-100は、国内線・近距離国際線兼用として2機が残され、1987年まで使われた。
1983年4月時点では、DC-10の導入を終え、DC-8を半減し、33機の陣容となった。
1988年4月時点では、DC-8の退役を終え、747のClassic型、DC-10に、767-200/300も加え、32機の陣容となり、機材の大型化が進んだ。なお、767-200は、727-100に代わる、国内線・近距離国際線用の機材であった。

その後、747のClassic型を747-400Dで置き換えつつ、767-300の増備も行われ、1994年4月時点では38機の陣容となり、機数の増加に軸足が移る。
この傾向はその後も続き、DC-10を置き換えつつ、767-300、777-200/300の増備・導入が続き、2004〜5年には、51機の最盛期を迎える。この時点でも、747のClassic型が7機も残っていた。

その後、747のClassic型の本格的な退役が始まるが、会社更生法申請前年の2009年4月時点では、まだ合計47機を擁していた。
会社更生法申請後の動きは劇的で、747及び767-200を全廃し、767-300、777-200/300の3機種による35機に整理された。この間、767-300の初期導入機が、767-300/ERの国内線仕様により置き換えが始まった。

Jalwide

最後に国際線向けの機材。国内線向けのワイドボディ機と似た経過をたどっている。
1976年4月時点では、DC-8と747がほぼ同数で、37機の陣容であった。
1982年4月時点では、DC-10の導入を終え、DC-830/50を淘汰し、747も増備して、45機の陣容となった。
1989年4月時点では、DC-8の退役を終え、747をさらに増備し、DC-10の国内線からの転用も加え、55機の陣容となった。機材の大型化とともに、機数の増加も果たしている。

1990年から747-400の導入が始まるが、747のClassic型の退役は一部にとどまり、DC-10を残したままMD-11の導入も進め、1997年4月時点には84機を擁する最盛期を迎えた。767-300シリーズは、近距離専用の300型が2機導入されたのみで、300/ER型はまだ導入されていない。

その後、747 Classic型、DC-10、MD-11の退役が始まり、代わって747-400の増備、767-300/ER、777-200/ER、777-300/ERの導入が進められ、2006年4月時点では、DC-10、MD-11の退役が終わり、新世代機を中心に79機の陣容となる。しかし、747 Classic型が14機、747-400が34機と、まだ747がフリートの中核であった。
会社更生法申請までの間に、767-300/ER、777-300/ERによる747-Classic型の置き換えが進んだが、申請前年の2009年4月時点で、5機の747 Classic型、29機の747-400を擁していた。
そして会社更生法申請後は、これらの747型が一挙に淘汰される一方、若干の767-300/ER、777-300/ER、787が導入されただけで、ワイドボディ機は約2/3に整理された。
この間、アジア路線向けに737-800の国際線仕様が9機導入され、機材のダウンサイジングに拍車をかけている。
2012年4月時点では、767-300/ERが29機、777-200/ERが11機、777-300/ERが13機、787-8が2機、737-800が9機、合計64機の陣容である。

Jalint

全体として眺めると、1970〜80年代は国際線の形成期、国内幹線の充実期、1990年代は国際線の躍進期、国内線亜幹線への進出期であった。しかし2000年代に入って環境変化への対応が遅れ、国際線・国内線ともにフリートの再構築が後手に回り、会社更生法申請を経て2010年代に入って会社再建の中で一気にリストラクチャリングが進められたと見る事ができる。

2012年10月14日 (日)

ANAグループの旅客機

機種別のリスト作成、機材の大きさ別の考察が終わったので、最後に会社別の考察。

グラフは、

  コミューター機(80席未満, グループ内のコミューター航空運行のYS-11はこちら)
  国内線向けの双発ナローボディ機(グループ親会社運行のYS-11はこちら)
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材

という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

JALは経営統合があって複雑なので、まずはANAグループを考察し、大きな流れを把握する。

なおANAグループの場合、国際線で運用されたL-1011と747SRは運用時期が判然としないため、777-200の元国際線仕様は運用時期が判然としない事と当初より頻繁に国内線での運用があったようであるため、すべて国内線向けとして集計している。

ANAグループの現有機材は、2012年4月時点で、コミューター機21機, 1,500席、国内線向けナローボディ機70機, 10,400席、国内線向けワイドボディ機67機, 24,000席、国際線向け機材59機, 約12,700席、合計217機, 48,600席という陣容である。

Ana

コミューター機は、まず1974年からエアーニッポン(ANK, 当時は日本近距離航空)のDHC-6が、1978年からはANKに移籍したYS-11も運行された。
その後エアーセントラルのフォッカー50をはさんで、2001年からANAウイングス(AKX)のDHC-8-Q300とDHC-8-Q400に置き換えられていった。
コミューター機は、空港の滑走路延長に伴って機材の大型化やジェット化が行われる場合があり、一概に後継機を挙げることが適切でない場合があるが、おおよその変遷は下図のとおりである。

2011年からは、Q300型の退役が始まり、Q400型への機種統一が進められている。2012年4月現在、DHC-8-300が3機、DHC-8-400が18機、合計21機の陣容である。

Anacommuter

国内線向けの双発ナローボディ機は、1970年時点ではフォッカーF27がまだ残っていたが、程なくYS-11へ置き換えられ、737-200の導入も進んだ。これらの2機種による40機以上の状況が1990年まで続いた(ANKのYS-11を含む)。

1991年から、A320による置き換えが始まり、1995年からは737-500も加わった。また1998年からはA321、2000年からは中古の747-400も2機導入され、2004年4月時点でこれら4機種による62機となった。
737-200は主にA320で、YS-11は主に737-500で置き換えられ、A321はワイドボディの767-200の置き換えであったと考えられる。

その後、2005年から737-700の導入が始まる一方、A320の初期導入機やA321の退役が始まった。さらに2008年からは737-800の導入も始まり、2012年4月現在、A320が21機、737-500が16機(他にADOに7機が移籍)、737-700が16機、737-800が17機、合計70機の陣容である。
2004年以降の動きは、機材の大きさに関係性が見られず、ワイドボディ機を含めたフリートの再構築(とボーイングへの統一)が行われていると考えるべきだろう。

今後は、737-800が10機発注中であるがA320を代替する規模ではなく、また737-500の後継機も明らかにされておらず、エアバス、新旧737の混成編隊がしばらく続くと思われる。

Ananarrow

国内線向けのワイドボディ機は、1970年時点は727-100から727-200への移行途中であり、1974年に完了する。平行して1973年からL-1011の導入も始まり、1978年半ばまでに2機種合わせて47機が導入される。
しかしそれも束の間、1978年末から747SRの導入が始まり、かわって727-200、L-1011の一部が退役し、1983年4月時点では、3機種合わせて56機となった。

次いで、1983年から767-200の導入が始まる。導入時期や機数から、767-200は、主として727-200の後継として導入されたとみることができる。
767-200の導入が終わると、1987年から767-300の導入が始まる。727-200の退役が終わった1991年4月時点では、L-1011、747SR、767-200、767-300の4機種による71機となった。

1992年から747-400Dの導入が始まり、引き続き、1995年から777-200、1998年からは777-300の導入が始まった。この間、L-1011、747SR、767-200の退役が始まる。L-1011の退役が終わった1999年4月時点では、747SRが12機、747-400Dが11機、767-200が18機、767-300が35機、777-200が12機、777-300が4機、合計92機という最盛期を迎える。
L-1011は、早期退役機は747SRで、中期は767-200で、最終期は767-300と747-400Dで複合的に置き換えられていると読み取れる。

その後、747SR、767-200の退役を進める一方、777-200/300の増備を進め、2006年4月時点では、747-400D、767-300、777-200、777-300の4機種による70機に整理された。
747SR、767-200を補うほどの777の導入は行われず、22機の減少となっている。一部はA321などのナローボディ機で置き換えられた他、バブル崩壊後の経済情勢や、羽田空港の沖合展開、伊丹空港の多発機の乗り入れ禁止になどに対応するフリートの再構築が行われたと考えられる。

その後は、747-400Dの退役を進めながら、2011年から787の導入が始まり、2012年4月現在、747-400Dが8機、767-300が32機、777-200が16機、777-300が7機、787-8が4機、合計67機の陣容である。

今後は、777-200/ERの国内線仕様と、787の増備が予定されており、それに応じて767-300の初期導入機の退役が進むものと考えられる。

Anawide

最後に国際線向けの機材。
ANAの国際定期便への進出は1986年であり、当初はL-1011を使用し、順次747-200Bの導入を進めた。747-200Bに引き続き、767-300/ER、747-400の導入を進め、747-200Bの導入が終わった1991年4月時点では、これら3機種による11機となった。

その後、747-400の導入が終わると、引き続き1999年から777-200/ER、2004年から777-300/ERの導入が始まる一方、747-200Bの退役がはじまった。747-200Bの退役、777-200/ERの導入が終わった2007年4月時点では、747-400、767-300/ER、777-200/ER、777-300/ERの4機種による48機となった。

その後、747-400の退役を一気に進めるとともに、787の導入や、A320、737-700/ERなどアジア路線向けのナローボディ機も加え、2012年4月現在、767-300/ERが25機、777-200/ERが7機、777-300/ERが19機、787-8が2機、A320が4機、737-700/ERが2機、合計59機の陣容である。

767-300/ERは、この間導入し続けられてきたが、787の導入が始まり、今後は初期導入機の退役や、場合によっては国内線への転用も考えられる。
747は、200B型は747-400と777-200/ERで、747-400は、777-200/ERと777-300/ERで置き換えられたと考えられる。
国際線向け機材については、国内線で見られたフリートの再構築の動きは見られない。

Anaint

全体として眺めると、1970年代は国内線向けワイドボディ機の増備期、1980年代は小康期、1990年代はYS-11のジェット化とワイドボディ機の大量増備期、そして国際線への進出期、2000年代は国内線のフリート再構築期と国際線の躍進期といった特色が見えてくる。

特に2000以降は、国内線ではワイドボディ機の整理とナローボディ機の増備が進み、機数は横ばい、席数はやや減少というダウンサイジングが急速に進んでいるのに対し、国際線はダウンサイジングを進めつつ、機数、席数ともに伸ばしており、国内線のプレミアムクラスの充実とともに、フルサービスキャリアの道を邁進している事がわかる。

2012年9月26日 (水)

にほんのワイドボディ機・貨物型編=日本の貨物専用機

最後に、貨物型。
DC-8の貨物型も加えて「にほんの貨物専用機」を兼用。

まずJAL。
JALは、1965年のDC-8F-55型から貨物機の運航を始めている。8F型は混載型であるが、後に貨物専用として使われたようである。その後62AF型を加え、1972年から79年の8年間は7機のフリートを形成した。
その後1974年から747の導入が始まる。当初は、1977年の100型からのSF型改修1機を除いて、パンナムの中古機2機を含めて200F型の導入が1980年代いっぱい続いた。1991年に中古機を購入してSF型改修した200B/SF型1機をもって導入は一段落する。1990年代のフリート数は8〜11機である。
その後2000年から、まず200B型2機のSF型改修、400F型2機の増備が始まった。400F型はベアメタルが特徴であった。そして2006年から200F型、200B/SF型を置換えるように、400型が6機BCF型改修された。2010年の貨物専用機廃止時には、クラシック型は退役を完了し、400F型2機、400/BCF型6機であった。6機目のBCF型は、改修されたものの運行されることなく売却された。
767は、2007年に300F型が3機導入され、貨物専用機廃止まで運用された。

次いで日本貨物航空(NCA)。
NCAは、ANAと海運各社合弁の貨物専門航空会社として設立された。
1984年の就航は200F型の新造機でスタートし、1991年までに200F型6機のフリートを形成した。1993年以降はANAから移籍したSR型, 200B型のSF型改修を5機増備し11機体制となる。
2005年には、400F型の新造機を受領する一方、ANAが経営から撤退し日本郵船系列の会社となる。その後クラシック型を急速に淘汰し、2008年には400F型8機体制に移行した。400F型は他に2機を所有し、海外にリースしている。
2012年からは、ローンチカスタマーである8F型の受領が始まった。2014年よりの10機体制が表明されているが、余剰の400F型はリースに廻されるものと考えられる。

3番目はANA。
2005年にNCAから撤退したANAは、これを見越していたのか、2002年から767-300/F型の導入を始めている。2006年までに300/F型4機を導入した後、2008年からは300/ER型のBCF型改修を始め、2010年までの3年間で7機を改修した。
一方、300/F型は、BCF型が揃った2011年に2機を放出している。余剰機はリセールバリューの高い新しいものから放出するANAならではの措置である。

最後にギャラクシーエアラインズ(GXY)。
佐川急便傘下のGXYは、2006年10月31日に就航したが、原油価格の高騰などに対応できず、2008年9月28日に運行を終了した。わずか2年足らずであった。
機材はA300-600型を2機導入し、1機目は元中華航空の600R型を貨物型に改修したもの、もう1機は貨物型の新造機であった。

日本の貨物専用機は、JALの撤退、GXYの失敗を経て、ワールドワイドに展開する日本郵船傘下のNCAと、那覇をハブに東アジアに展開するANAの2社が運行し、紆余曲折を経て総数十数機の体制に収束している。

ということで、特に更新はないが、関連する機種のリスト。
にほんのボーイング747
にほんのボーイング767
にほんのエアバスA300
にほんのダグラスDC-8

Widebody_cargo

2012年6月29日 (金)

1970年以降のにほんのナローボディ機

70年以降のにほんのナローボディ機のまとめ。
対象となる機種は、日本への導入順に列挙すると、DC-8、CV-880、B727、B737、DC-9, MD-80/90、A320/321である。

narrowbody_planes

グラフをみると1990年前後に大きな谷ができており、ここが大きな転換点となっている。
1990年頃までは、1960年代から導入が始まったジェット機の第1世代の時代であった。JALのDC-8, B727、SWALのB737-200、ANAのB727, B737-200、TDAのDC-9などが各社の看板機種として導入された。

ちなみにSuper80のロゴを入れていたTDAのDC-9-81は、あえてDC-9-41とパイロット資格を共通化できるコクピットを装備していたことから、ここでは第1世代に含めている。一方ほぼ同じ機体のMD-81は、次世代のコクピットを装備していたことから、ここでは第2世代に含めている。

第1世代機の退役時期に谷ができてしまったのは、これら第1世代機の置き換えに二つの方向性があったためと考えられる。

一つは、主に幹線に就航していた機材で、これらは1970年代に登場したワイドボディ機で置き換えられた。JALのDC-8, B727はB747SRやDC-10で、ANAのB727はトライスターやB747SR, B767-200で置き換えられ、代替となるナローボディ機は導入されなかった。これらの第1世代機は、洋上飛行も可能な中長距離用の3〜4発機であり、航空機関士を含む3人乗務であることが共通している。1972〜74年の70機以上をピークに、その後漸減し、1990年に姿を消した。

もう一つは、亜幹線やローカル線に就航していた機材で、これらはターボプロップ機であるYS-11のジェット化・大型化の受け皿ともなりつつ、1990年代以降になってややキャパシティの大きなナローボディ機に置き換えられたと考えられる。ANAのB737-200はA320やB737-500に、SWALのB737-200はB737-400にである。
TDAのDC-9は、これらを折衷した動きと考えられ、一部をワイドボディのA300で置き換える一方、YS-11を代替しつつ、最終的に直系の発展型であるMD-90やMD87で置き換えられたと考えられる。
こちらの第1世代機は、短中距離用の双発機であり、航空機関士を必要としない2人乗務であることが共通している。1980〜92年の40機強をピークに、2002年に姿を消した。

このように第1世代のナローボディ機が大きく2つに分けられることは、後者の双発機のみでグラフを描いてみるとよくわかる。1990年前後の谷がなくなり、右肩上がりの単純な正常進化のグラフとなる。
また、グラフには参考としてグレーでYS-11を描き加えたが、YS-11を加えてもグラフは破綻せず、右肩上がりのままである。YS-11のかなりの部分が双発のナローボディ機で置き換えられたことがわかる。

narrowbody_twin_planes

双発のナローボディ機は、その後第2・第3世代機と継続的に導入されていく。MD80/90シリーズが1985年から、A320/321が1990年から、B737-400/500が1994年から、そしてB737-700/800が2005年からの導入となっている。

MD80/90シリーズは、JASにおいてDC-9-41/81を置き換え、JALとの経営統合後も使用されたが、MD-87が2008年に、MD-81が2010年に退役したほか、MD-90もおそらく今年度中に退役し、B737-800への機種統一が図られようとしている。

A320/321は、当初はANAのみが導入した。ANAでは160席級以上はA320/321、130席級はB737-500と棲み分けを図ろうとしたように見えるが、その後競合機であるB737-700/800を導入する一方、平行していったん休止していたA320の導入を再開するなど混沌とした状況となり、機数としては伸び悩み状況となった。しかし2005年のスターフライヤー、2011年以降のLCC各社への採用により、今後大幅に機数を増やしていくものと考えられる。

B737の第2世代機は、大きくは200型と同じクラシック型に分類されるが、CFM56を装備した400/500型で、当初は200型の置き換えとして導入された。JTAでは大型化して400型が、ANAでは同じ席数の500型が選択され、これらは生産がNG型へ移行すると中古機での導入が続けられた。この他400型は、45/47体制の終焉で亜幹線に進出したJALに新造機が、ANAに八丈島線用の中古機が、新規参入組のスカイネットアジアに中古機が導入された。
JALグループの400型は最終的にJTAへ集められ、中古導入機の退役が完了し、今後は新造導入機の退役が始まる予定である。ANAの500型は、7機がAIR DOへ移籍、残る18機がANAウイングスへ移管され、ANAウイングスでは中古導入機の退役が始まっている。ANAの400型は、AIR DOへ移籍し、その後スカイネットアジアに再移籍している。スカイネットアジアの400型は、800型への置き換えが始まっている。

B737の第3世代機は、第2世代と同じCFM56装備ながらアビオニクス等を一新した700/800型で、JALグループ、ANAグループの亜幹線、ローカル線の主力となっている他、新規参入組のスカイマーク、ソラシドエア(旧スカイネットアジア)でも採用されている。
700型はANAのみの導入で2005年から、800型はスカイマークが最初で同じく2005年から導入が始まったが、関西、中部の開港、羽田の沖合展開などの環境変化を背景に、ここ数年は急速な導入が進んでいる。


ということで、特に更新はないが、関連する機種のリスト。
にほんのダグラスDC-8
にほんのコンベア880
にほんのボーイング727
にほんのボーイング737
にほんのマクドネル・ダグラスDC-9, MD-80/90
にほんのエアバスA320

2012年6月15日 (金)

「にほんのボーイング727」公開

非現役のナローボディ機シリーズその3は、「にほんのボーイング727」。
新幹線に乗ると田んぼの中に立っている看板とは関係ない。

まずは100型。国内3社がそろって導入した型である。

JALは、日本国内航空(JDA)から強制移籍(リース)させられた2機を含めて、20機を導入した。新造機は、1965年から1969年までの4年間で12機を導入した。この間にJDAの2機もフリートに加わっている。その後1969〜74年の間に、ワールド航空から6機を延べ9回短期リースしている。
ピークは、1969〜71年の16機前後であるが、初号機導入からわずか7年の1972年からは急速に退役が進み、1975年には2機を残すのみとなった。1972年には、JDAの東亜国内航空への再編にあわせて、リース機2機に事故抹消となったコンベア880の保障分の1機を加えた3機が返却されている。
129席のキャパシティは幹線のみを運行する国内線には小さく、短い航続距離では国際線も近隣国に限られることから、DC-8や747の導入にあわせて退役が一気に進んだものと考えられる。ワールド航空からのリース機は、1970年前後の需給調整用と、TDA返却分の穴埋めなどが目的であったと考えられる。
残った2機は、ハバロフスク線や近距離国際チャーター用として、1988年まで運用された。

JDAは、コンベア880に続く同社飛躍の切り札として、1966年に2機を導入した。中古のコンベアに対してこちらは新造機であり、型式にはJASまで続くボーイングのカスタマーコード89が冠されている。そして、5月15日に羽田〜札幌線にデビューしたが、その一月半後の7月には、閣議了解まで繰り出しての行政指導によって、路線ごとJALに取り上げられてしまった。将来のJALへの吸収合併による経営再建を視野に入れた措置だった。
その後、業績が好転した同社は東亜航空と合併し、1972年に東亜国内航空(TDA)が発足すると、同様にJALに召し上げられ事故抹消の憂き目にあったコンベアの保障を含め、3機の727が返還された。また同時期に、JALがリースしたものと同一機体をワールド航空から1機リースしている。これらの4機は羽田〜大分線など運用されたが、TDAでは翌1973年からDC-9の導入が始まり、4機の727は1975年(度)までに退役した。
せっかく3機保有している727ではなく、競合機であるDC-9に主力機の任を託した理由は不明であるが、JALやANAが導入している機種では、再度の指導の芽になりかねないと思ったのだろうか。

ANAの100型は、1965〜67年の2年間に8機の新造機を導入している。導入1年前の1964年4月から1年間は、ボーイングから1機をリースし、JALに先制攻撃を加えた。
1969〜74年にもパシフィック・サウスウエスト航空(PSA)から3機をリースしているが、これは200型納入までの継ぎと考えられる。
退役は早く、200型の導入が進んだ1972年度に全8機が退役している。機齢5〜7年であった。当初から短期間で200型に置き換えるつもりだったのか、導入してから失敗したと思ったのかは不明であるが、導入に先立ってボーイングから1機をリースしていることや200型の怒濤の導入状況からすると、ANAが希望する納期に沿えないボーイングが継ぎとしての導入を提案した可能もありそうだ。


200型は、ANAのみが導入し、その総数は33機に上る。
新造機は、1971年8機、1972年8機、1973年5機、1974年3機と怒濤の導入が続いた。その後少し間を置いて1978年3機が導入され、27機のフリートを形成した。1972年分の途中からはアドバンス型に移行している。また納入に先立つ1969〜70年から6機をPSAからリースしている。
1973〜82年の10年間20機以上を運用しており、本格的な退役は1983から始まり、1990年に完了した。
ANAでは727に続いてトライスターの導入を進め、1978年からは747SRに移った。727の置き換えは、1970年代終盤からの斬減期は747SRが、1983年以降の本格的退役は767-200が、直接的な代替機となったと考えられる。


退役機のほとんどは解体や部品取りになっているが、ANAの200型最終導入機JA8355は、エンジン換装、ウイングレット装着などの改修(Super 27型)を受け、NHLのサンノゼ・シャークスの専用機となっている。また、同じくANAの200型JA8349の機首部分は、アメリカで解体後日本に運ばれ「キャザニア甲子園」で利用されている。

この「キャザニア」なるもの。東京にもあるらしいのだが、Webサイトを見てもどういう施設なのかピンとこない。


Boeing_727

2012年6月14日 (木)

「にほんのコンベア880」公開

非現役のナローボディ機シリーズその2。
2番目は「にほんのコンベア880」。

散々な評判の機種である。
JALに8機、日本国内航空(JDA)に1機の合計9機導入された。

JALは、DC-8より小振りな国内線や近隣国への国際線に適した中距離用機材として導入した。JDAの1機を加えて9機のフリートを形成したが、その操縦特性になじめず3機が事故抹消、残りの6機も1971年までに最長10年で退役となっている。

退役した6機は、1機が事故抹消されているが、残りの5機は1980年代の半ばまで運用されている。上手に運用すれば大過なく使えるとも考えられるし、便数の少ないオペレーターでベテラン・パイロットが操縦したといった要素があったのかもしれない。

また124席という規模は、1964〜5年には727やDC-9が3発で実現した規模である。機種統一という観点からは144席のDC-8-30/50も選択肢になるはずで、受注獲得に躍起になっていたコンベア社の提示する価格に目が眩んで買ってはみたものの、使いづらい上にキャパシティーも中途半端で、多いに後悔したことでしょう。

代替機種は、規模から言えば727-100であるが、JALの727は1967年頃までに導入を終えており、1970年前後に導入された中距離機という観点からはDC-8-61が直接的に、間接的には60シリーズの導入で余裕ができたDC-8-30/50が当てはまるのだろうか。

JDAの1機は、元スイス航空の中古機ではあるが、727とともに同社飛躍の期待を込めて導入された。しかし、閣議了解まで繰り出しての行政指導によりJALに移管され、しかもその4ヶ月後には訓練中の事故で失われるという、不運な機体であった。

2012年6月13日 (水)

「にほんのダグラスDC-8」公開

非現役のナローボディ機シリーズその1

コミューター機の検討が終わったので、1970年以降のナローボディ機に挑戦。
最初は、導入時期の古い順ということで、「ダグラスDC-8」。

旅客型は、合計48機が導入された。在籍数のピークは1972〜76年の40機前後で、その後徐々に退役が進み、1987年に退役が完了した。

32型はターボジェット時代の決定版で1960年に3機が、33型はその航続距離延長型で1960〜61年に2機が導入された。しかし、5機体制が出そろった2ヶ月後にに32型1機が事故抹消となり4機体制となってしまう。これら4機は1974年(度)までおよそ15年間使用された。

53型は33型をターボファンに換装した型、55型はその航続距離延長型である。1962〜67年の5年間をかけて10機、更に先の事故抹消32型を再生した53型を加えた11機が導入された。2機が事故抹消、1機が貨物型に改修されたが、他は1981年まで使用された。

30シリーズ、50シリーズは144席の仕様であった。

61型は、234席を誇る中距離型で、1969〜71年の3年間で新造機9機、イースタン航空の中古機7機の16機を集中的に導入した後、1973年にもイースタン航空の中古機を2機導入し、18機のフリートとした。また、1972〜3年からはイースタン航空から5機をリースで導入し、ピークの1974〜5年は23機を運用した。その後リース機を徐々に返却した後、1980年から所有機の退役が始まり、1987までにすべてが退役した。

62型は、61型ほどのストレッチはせずに航続距離の延長に重点を置いた型で、JALでは165席の仕様であった。1968〜71年の3年間で10機が導入され、1983年から退役が始まり、61型と同じく1987まで運用された。

旅客型の国際/国内別の運用状況に関する資料が見あたらないので確たることは言えないが、導入時期との関係で直接の代替機種を探ると、30/50シリーズは747-100/200/SRやDC-10で、60シリーズは747-300やDC-10、767-200/300で置き換えられたと考えられる。


貨物型は、合計11機が導入された。

8F-55型は貨客混載型で、1965〜66年に2機が導入された後、1970年代からは貨物専用として運用された。その後1970年前後に3機を短期リースで導入した他、1977年には55型を一旦売却し貨物型に改修後3年間リースしている。

62AF型は、長距離仕様である62型の貨物型で、1968~72年に5機を導入している。

貨物型のピークは、1972〜79年の7機で、8F-55型と62AF型の新造機数と同じである。短期リース機は62AF型納入までの継ぎ、55型改修機は1977年に事故抹消となった62AF型の補充であったと考えられる。

747貨物型の導入進捗にあわせるように、1980年以降退役が始まり、旅客型と同じく1987年(度)に退役が完了した。


旅客型、貨物型共に、1960年代にフリートを形成し、1970年代は747の初期型とともにJALフリートの中核を形成した機種であったことがわかった。


Douglas_dc8