旅客機:DHC-8

2012年11月16日 (金)

10〜11月のコミューター機の動き

Bombardier_dhc8_121110Bombardier_crj_121110まず、ボンバルディアCRJ。
IBEXの100型、JA01RJから「がんばろう!東北」が消えた。9月中旬以降のようある。
IBEXの他の7機の「がんばろう!東北」は健在。

次いで、ボンバルディアDHC-8。
JACのQ400型、JA841Cが、10/12にリースから保有に移転登録された。

AKXのQ300型、JA803Kは、9月より運用を外れていたが、11月初旬にANAのロゴが消された。11月中には抹消か。
AKXのQ300型が残り1機であることは変わらず。

その他のコミューター機に動きはない模様。
ということで「にほんのボンバルディアCRJ」「ボンバルディアDHC-8」を更新。

2012年10月24日 (水)

旧JASグループの旅客機

旧JALに引き続き、旧JAS。
具体的にはJASとJAC。HACは、最終的にグループを離脱したので含めなかった。

なお、JALとの経営統合の経過は次の通りである。
  2002年10月 共同持株会社設立(経営統合)
  2004年04月 日本航空ジャパンに商号変更、全便JAL便に
  2006年10月 JALに吸収合併

グラフは、
  コミューター機(80席未満)
  国内線向けの双発ナローボディ機
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材
という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

なお旧JASグループの場合、A300B4とA300-600に国際線仕様があったが、運用時期が判然としないので国内線向けとして集計している。

旧JALグループの現有機材は、JALとの合併後に一挙に整理が進み、2012年4月時点で、コミューター機22機, 1,200席、国内線向けナローボディ機13機, 2,000席、国内線向けワイドボディ機7機, 2,600席、国際線向け機材なし、合計42機, 5,800席という陣容である。

Jas

コミューター機は、JACが運行している。
JACは、1983年にDo228, 2機で運行を開始した。その後JASからYS-11を路線ごと移管を受けた。
1992年から、Do228をSaab340Bで置き換え、1995年4月時点では、YS-11とSaabの2機種による18機の陣容となった。

その後、Saabの増備を続ける一方、経営統合後の2002年よりDHC-8-400の導入を始め、YS-11を置き換えた。
2012年4月現在、DHC-8-400が11機、Saab340Bが11機、合計22機の陣容である。
シンプルな置き換えと、フリートの拡大である。

Jascommuter

ナローボディ機は、YS-11からスタートした。その後、行政指導でJALに召し上げられていた727が返還されるが、当時のTDAは2名乗務のDC-9を選択し、1980年4月時点では、この2機種による64機のフリートが形成された。ナローボディ機の機数のピークは1980年から82年の3年間で、席数的にもその後と遜色のない規模に達していた。

1981年からDC-9-41のDC-9-81への置き換えが始まり、YS-11も若干数を減らし、1985年4月時点では、3機種による57機の陣容となり、機材の大型化が始まる。
1985年からはDC-9-81と同型ながら新世代のコクピットを備えたMD-81の導入が、また1988年からはMD-81と同世代で短胴のMD-87の導入も始まったが、これらはDC-9-41を置き換えるというよりは、YS-11をジェット化、大型化するという意味合いが強いようだ。またこの間、JACへのYS路線の移管が始まった。1992年4月時点では、5機種による55機の陣容となった。

その後、DC-9-41/81の置き換えが、MD-81の増備、MD-81をグラスコクピット化したMD-90の導入で進められ、2000年から2007年の8年間、MD-81/87/90の3機種による42機体制が続いた。

JALへの吸収合併後、まずMD-87が早々に淘汰された。次いで一部がJEXに移管されたMD-81が淘汰された。そして最後にMD-90の淘汰が現在進められている。
この間JALでは737-800の大量増備が行われているが、737-800はこれらMDの3機種, 42機に加え、JEXの737-400, 8機も置き換えており、MDの3機種の一部は削減対象であったことがわかる。

Jasnarrow

ワイドボディー機は、かつては45/47体制の下で国内幹線への就航に制約があったこともあり、JALやANAより導入時期が遅く、1980年より始められた。
機種はエアバスのA300で、B2型、B4型、600型と一貫して増備が続けられ、JALとの経営統合前までに、3機種合わせて36機が導入された。これらの一部は国際線にも運用された。
また、1996年からはA300と平行して、777-200が7機導入され、2000年から2002年の間は、これら4機種による43機の陣容となった。

JALとの経営統合を経て、まずB2/B4型3機が600型で置き換えられ、その後B2/B4型が順次削減されていった。JALへの吸収合併後の2007年4月時点では、A300B2/B4の淘汰が終わり、A300-600と777-200の2機種による29機の陣容となる。
この状態が、JALの会社更生法申請の2010年まで続いた。しかし、その後2011年までの1年間で、22機のA300-600が一挙に淘汰され、2012年4月現在、777-200の7機に整理された。

Jaswide

最後に国際線向けの機材。
JASは、45/47体制の崩壊を受け、1988年より国際定期便に就航した。当初はA300B4の一部に国際線仕様を設定したが、同時に長距離の路線就航に向けて、DC-10-30を2機導入した。
しかしDC-10を生かす路線開拓が思うように進まず、後に傘下のハーレクィンエアによるチャーター運用などを経て、2000年までに退役した。


全体として眺めると、1970年代から1980年代前半はYS-11とDC-9による基礎固めの時代、1980年代後半から1990年代前半はワイドボディ機の導入期、1990年代後半から一挙に拡大を図ったが、2000年代に入り破綻し、JALとの統合に至った。1990年代後半に一挙に拡大路線に転じていた事が、2000年代の環境変化への対応を困難にしたと考えられる。
統合後のJASの処分は、JACの路線と機体、MDが飛んでいた地方路線(機体は737-800へ転換)、そして777-200の機体の3つを残して解体されたと見る事ができよう。

2012年10月14日 (日)

ANAグループの旅客機

機種別のリスト作成、機材の大きさ別の考察が終わったので、最後に会社別の考察。

グラフは、

  コミューター機(80席未満, グループ内のコミューター航空運行のYS-11はこちら)
  国内線向けの双発ナローボディ機(グループ親会社運行のYS-11はこちら)
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材

という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

JALは経営統合があって複雑なので、まずはANAグループを考察し、大きな流れを把握する。

なおANAグループの場合、国際線で運用されたL-1011と747SRは運用時期が判然としないため、777-200の元国際線仕様は運用時期が判然としない事と当初より頻繁に国内線での運用があったようであるため、すべて国内線向けとして集計している。

ANAグループの現有機材は、2012年4月時点で、コミューター機21機, 1,500席、国内線向けナローボディ機70機, 10,400席、国内線向けワイドボディ機67機, 24,000席、国際線向け機材59機, 約12,700席、合計217機, 48,600席という陣容である。

Ana

コミューター機は、まず1974年からエアーニッポン(ANK, 当時は日本近距離航空)のDHC-6が、1978年からはANKに移籍したYS-11も運行された。
その後エアーセントラルのフォッカー50をはさんで、2001年からANAウイングス(AKX)のDHC-8-Q300とDHC-8-Q400に置き換えられていった。
コミューター機は、空港の滑走路延長に伴って機材の大型化やジェット化が行われる場合があり、一概に後継機を挙げることが適切でない場合があるが、おおよその変遷は下図のとおりである。

2011年からは、Q300型の退役が始まり、Q400型への機種統一が進められている。2012年4月現在、DHC-8-300が3機、DHC-8-400が18機、合計21機の陣容である。

Anacommuter

国内線向けの双発ナローボディ機は、1970年時点ではフォッカーF27がまだ残っていたが、程なくYS-11へ置き換えられ、737-200の導入も進んだ。これらの2機種による40機以上の状況が1990年まで続いた(ANKのYS-11を含む)。

1991年から、A320による置き換えが始まり、1995年からは737-500も加わった。また1998年からはA321、2000年からは中古の747-400も2機導入され、2004年4月時点でこれら4機種による62機となった。
737-200は主にA320で、YS-11は主に737-500で置き換えられ、A321はワイドボディの767-200の置き換えであったと考えられる。

その後、2005年から737-700の導入が始まる一方、A320の初期導入機やA321の退役が始まった。さらに2008年からは737-800の導入も始まり、2012年4月現在、A320が21機、737-500が16機(他にADOに7機が移籍)、737-700が16機、737-800が17機、合計70機の陣容である。
2004年以降の動きは、機材の大きさに関係性が見られず、ワイドボディ機を含めたフリートの再構築(とボーイングへの統一)が行われていると考えるべきだろう。

今後は、737-800が10機発注中であるがA320を代替する規模ではなく、また737-500の後継機も明らかにされておらず、エアバス、新旧737の混成編隊がしばらく続くと思われる。

Ananarrow

国内線向けのワイドボディ機は、1970年時点は727-100から727-200への移行途中であり、1974年に完了する。平行して1973年からL-1011の導入も始まり、1978年半ばまでに2機種合わせて47機が導入される。
しかしそれも束の間、1978年末から747SRの導入が始まり、かわって727-200、L-1011の一部が退役し、1983年4月時点では、3機種合わせて56機となった。

次いで、1983年から767-200の導入が始まる。導入時期や機数から、767-200は、主として727-200の後継として導入されたとみることができる。
767-200の導入が終わると、1987年から767-300の導入が始まる。727-200の退役が終わった1991年4月時点では、L-1011、747SR、767-200、767-300の4機種による71機となった。

1992年から747-400Dの導入が始まり、引き続き、1995年から777-200、1998年からは777-300の導入が始まった。この間、L-1011、747SR、767-200の退役が始まる。L-1011の退役が終わった1999年4月時点では、747SRが12機、747-400Dが11機、767-200が18機、767-300が35機、777-200が12機、777-300が4機、合計92機という最盛期を迎える。
L-1011は、早期退役機は747SRで、中期は767-200で、最終期は767-300と747-400Dで複合的に置き換えられていると読み取れる。

その後、747SR、767-200の退役を進める一方、777-200/300の増備を進め、2006年4月時点では、747-400D、767-300、777-200、777-300の4機種による70機に整理された。
747SR、767-200を補うほどの777の導入は行われず、22機の減少となっている。一部はA321などのナローボディ機で置き換えられた他、バブル崩壊後の経済情勢や、羽田空港の沖合展開、伊丹空港の多発機の乗り入れ禁止になどに対応するフリートの再構築が行われたと考えられる。

その後は、747-400Dの退役を進めながら、2011年から787の導入が始まり、2012年4月現在、747-400Dが8機、767-300が32機、777-200が16機、777-300が7機、787-8が4機、合計67機の陣容である。

今後は、777-200/ERの国内線仕様と、787の増備が予定されており、それに応じて767-300の初期導入機の退役が進むものと考えられる。

Anawide

最後に国際線向けの機材。
ANAの国際定期便への進出は1986年であり、当初はL-1011を使用し、順次747-200Bの導入を進めた。747-200Bに引き続き、767-300/ER、747-400の導入を進め、747-200Bの導入が終わった1991年4月時点では、これら3機種による11機となった。

その後、747-400の導入が終わると、引き続き1999年から777-200/ER、2004年から777-300/ERの導入が始まる一方、747-200Bの退役がはじまった。747-200Bの退役、777-200/ERの導入が終わった2007年4月時点では、747-400、767-300/ER、777-200/ER、777-300/ERの4機種による48機となった。

その後、747-400の退役を一気に進めるとともに、787の導入や、A320、737-700/ERなどアジア路線向けのナローボディ機も加え、2012年4月現在、767-300/ERが25機、777-200/ERが7機、777-300/ERが19機、787-8が2機、A320が4機、737-700/ERが2機、合計59機の陣容である。

767-300/ERは、この間導入し続けられてきたが、787の導入が始まり、今後は初期導入機の退役や、場合によっては国内線への転用も考えられる。
747は、200B型は747-400と777-200/ERで、747-400は、777-200/ERと777-300/ERで置き換えられたと考えられる。
国際線向け機材については、国内線で見られたフリートの再構築の動きは見られない。

Anaint

全体として眺めると、1970年代は国内線向けワイドボディ機の増備期、1980年代は小康期、1990年代はYS-11のジェット化とワイドボディ機の大量増備期、そして国際線への進出期、2000年代は国内線のフリート再構築期と国際線の躍進期といった特色が見えてくる。

特に2000以降は、国内線ではワイドボディ機の整理とナローボディ機の増備が進み、機数は横ばい、席数はやや減少というダウンサイジングが急速に進んでいるのに対し、国際線はダウンサイジングを進めつつ、機数、席数ともに伸ばしており、国内線のプレミアムクラスの充実とともに、フルサービスキャリアの道を邁進している事がわかる。

2012年10月 5日 (金)

9月のボンバルディアDHC-8の動き

JACに動きはなし。新鶴丸も未登場。

AKXでは、Q300型のJA803Kが、9/29より保管となった。残るQ300型は1機のみ。
また、8月にデリバリーされたQ400型のJA460Aが、8/10付けで正式登録された。

また恒例の赤い羽根のステッカーがJA842A〜JA845Aの4機に施された。場所は左右の操縦席の窓の後ろ。今年は赤い羽根の周りにリングが配された少し豪華なステッカー。ただし目立たない事に変わりはないが...


他のコミューター機に動きはない模様。

ということで、「にほんのボンバルディアDHC-8」を更新。

2012年9月 3日 (月)

7・8月のコミューター機の動き

更新再開。

まずはCRJ。
J-AIRのJA201Jが、7/16に新鶴丸に。また、JA204Jが5/11付けでリースから保有に変更。
IBEXのJA08RJが、7月初旬頃に就航。また、JA04RJが6/26付けでリースから保有に変更。

次いでDHC-8。いずれもANAウイングス。
300型のJA802Kが7/3に抹消。これで残る300型は2機。
また400型の新造機JA460Aが、8/9にデリバリー、8/28に就航。
また、高知空港胴体着陸の元JA849A。ボンバルディアに引き取られていたが、8月よりモンゴルにて現役復帰。

他のコミューター機には動きはない模様。

ということで、「にほんのボンバルディアCRJ」「にほんのボンバルディアDHC-8」を更新。

2012年6月26日 (火)

ANAウイングスのDHC-8-Q300に淘汰の兆し

ANAウイングスのDHC-8-Q300、JA802Kが5月初旬から保管となり、6月に入ってからはANAのロゴが消された姿が目撃されている。

同社のこれまでのQ300型の動きを見ると次の通りであり、Q400型の新造機導入のおよそ3ヶ月後にQ300型が退役している。

 2011/05/20:Q400型JA857A登録 2011/08/22:Q300型JA801K抹消 
 2011/10/27:Q400型JA858A登録 2012/02/01:Q300型JA805K抹消
 2012/03/15:Q400型JA859A登録 2012/06/xx:Q300型JA802K抹消(たぶん)

8月にはQ400型の新造機JA460Aが到着の予定となっているので、11月頃にもう1機が退役する可能性が高い。
ANAグループではさらに2機のQ400型を発注しているが、この2機で、Q300型の最後の1機の置き換えと、高知空港事故のQ400型の代替がまかなえる計算となる。もしかすると、今年度中にQ400型に機種統一されるかもしれない。
と思ってANAの事業計画をググってみたら、Q400に機種統一とありました。

その他、JACのQ400型JA841Cであるが、JACフェス2010のステッカーがまだ残っているようなのでリストを訂正した。

ということで、「にほんのボンバルディアDHC-8」を更新。

2012年6月 9日 (土)

1970年以降のにほんのコミューター機、40席以上篇

70年以降に現役だった40席以上のコミューター機のまとめ。
言い換えると、40席以上で、1列4席の座席配置。日本での登場順に並べると次のとおり。

フォッカーF27フレンドシップ44席1958年就航ターボプロップ
日本航空機製造YS-1164席1964年就航ターボプロップ
フォッカー5056席1987年就航ターボプロップ
ボンバルディアCRJ50/70席1992年就航ジェット
ボンバルディアDHC-8-Q30056席1989年就航ターボプロップ
ボンバルディアDHC-8-Q40074席2000年就航ターボプロップ
エンブラエルERJ-170/17576/84席2004年就航ジェット

グラフを見て一番感じることは、YS-11の後継機種はDHC-8-Q300/400という定説は疑わしいこと。

確かに、座席数64席に匹敵するターボプロップ機はQ400しかないが、Q300, CRJを含む新世代機の導入が始まる以前に、YS-11の退役は終盤に差し掛かっており、機数でも席数でも2000年前後に大きな谷ができてしまっている。
これを正しく読み取ると、YS-11を置き換えたのは737-400/500, MD-81/87/90, A320など120〜160席のナローボディ機であり、新世代のコミューター機は2000年以降に新たな路線、新たな運用方法で導入が始まったとみるべきであろう。

すなわち、かつてYS-11が就航していた羽田、伊丹などと地方都市を結ぶローカル線は、その需要の伸びに応じて、また地方空港の滑走路の延長に伴って、ナローボディ機、場合によっては767,A300などワイドボディ機によって代替されていった。一方新世代のコミューター機は、地方都市間に発掘した新たな需要に適した機材として、あるいはローカル線の多頻度運行など新たな運用方法に適した機材として、導入されていったという見方である。


機種ごとの動きを見ていくと、各機毎の記事で考えたことでもあるが、まずDC-3をヘロン、ノール、コンベアライナーなどで置き換え、間にフレンドシップやバイカウントなどの中継ぎをはさみながら、最終的にYS-11に置き換えていったのが1960年代の動き。1960年代後半からは、727やDC-9によるジェット化も始まっていた。
その後1980年にかけて、需要の増大にあわせてYS-11の中古機導入が行われるが、やがてローカル線のジェット化に伴い、YS-11の退役が始まる。

1990年代には、小牧空港をベースとする中日本エアラインサービスによって、新たな都市間輸送を開拓するためにフォッカー50が導入されたが、少数勢力に終わった。同時期には、YS-11を使って千歳、福岡などを拠点とする都市間輸送の路線開拓が始まり、日本近距離航空(NKA→ANK)、日本エアコミューター(JAC)などが設立され、YS-11も移管されていった。

そして2000年代に入って、DHC-8-Q300/Q400, CRJ, ERJ170/175など新世代のコミューター機の登場を受け、ANK, JACのYS-11を置き換えたり、新たな地域航空会社の設立に伴って導入されたりし、現在では機数、席数ともにYS-11の最盛期に迫る勢いを見せており、状況はなお進行中である。

DHC-8-Q300/Q400がYS-11の後継機種となったのは、この最後のフェーズにおける約20機の代替のみであり、残る約60機のYS-11はナローボディー機によって代替されたと考えられる。
YS-11は単に小型の航空機であって、現代の区分で言うコミューター機ではないことがわかった。

ということで、特に更新はないが、関連する機種のリスト。

にほんのノール262
にほんのコンベア240/440
にほんのフォッカーF27,フォッカー50
にほんのビッカース バイカウント
にほんの日本航空機製造YS-11
にほんのボンバルディアCRJ
にほんのボンバルディアDHC-8
にほんのエンブラエルERJ-170/175

commuter_o40_planes

commuter_o40_seats

2012年5月31日 (木)

1970年以降のにほんのコミューター機、40席未満篇

非現役機シリーズの成果を使って、70年以降に現役だった40席未満のコミューター機のまとめ。
40席未満であること、またその導入の経緯から、DHC-8-100/200を含める。
なおグラフは、民間航空会社のみで作成しており、官公庁の所有機は含まない。

70年代初頭はヘロンがまだ残っていたが、どれほど運用されていたかは判然としない。

その後、アイランダーとDHC-6の導入が進む。
機数ではアイランダーの割合が高い状況が90年代半ばまで続く。アイランダーの退潮は意外と遅く、05年以降。
DHC-6は、機数的にも、座席数的にも、70年代から90年代の前半まで、日本の南端と北端の離島空路を支えていたことがわかる。

80年代以降、すなわちバブル期以降、トライアンダー、ドルニエ、バンデイランテ、ジェットストリーム、ビーチ1900と、多彩な19席級の機種が少数ずつ就航するが、いずれもあまり長続きせずに撤退したり、より大型の機種に転換されたりして行く。わが国の諸条件の中で19席級による路線運営はかなり難しいようである。
生き残っているのは、伊豆諸島路線のドルニエのみで、これは近年アイランダーから大型化されたものである。伊豆諸島は、ジェットフォイルなどの高速船が就航していないにも関わらず、ある程度の人口や観光需要があるため、19席級が生き残れているのではないだろうか。

90年代以降は、真打登場というか、40席弱級のサーブとDHC-8-100/200が現れ、機数はもとより、座席数の大幅増をもたらす。ここ10年ほどは安定した状況が続いており、やっと離島などを結ぶコミューター路線運営の勘所がわかってきたということか。
近年のJAL、ANAとの提携による知名度の向上やチケット販売の効率化なども、効果を上げていると考えられる。

特に更新はないが、関連する機種のリスト。
にほんのデ・ハビランドDH-114ヘロン
にほんのブリテン・ノーマン アイランダー
にほんのデ・ハビランド・カナダDHC-6ツイン・オッター
にほんのドルニエ228
にほんのエンブラエルEMB-110バンデイランテ
にほんのBAeジェットストリーム31
にほんのビーチクラフト1900
にほんのサーブ340
にほんのボンバルディアDHC-8


commuter_u40_planes

commuter_u40_seats

2012年5月20日 (日)

新中央航空のアイランダーが退役、他

1970年以降の分析グラフを描くための非現役機シリーズ番外編

40席未満の非現役機の探索が終わったハズ?と思ったら現役機に動きが。

新中央航空の9席機、アイランダーの生き残りJA5305、JA5319が4/26に登録抹消された。昨年のドルニエ228NG導入により、予備機としての役目を終えたことによるものらしい。おつかれさま。

その他のコミューター機の動き。
 
ANAのDHC-8-Q300、JA803Kがリースから保有に変更された。ANAのQ300型は退役が始まっているので、退役に向けた権利関係の整理でなければ良いが。この機種、好きなので。

ということで、「にほんのブリテン・ノーマン アイランダー」、「にほんのボンバルディアDHC-8」を更新。

2012年4月 6日 (金)

ANAのDHC-8新造機が就航

ANAのDHC-8新造機、JA859Aが3/28に就航した。

その他、ANAの赤い羽根ステッカー機をしつこく検索。DHC-8では大半が判明。

DHC-8の新鶴丸はいつ登場か。
しかしJASレインボーが残っているのはすごいなぁ。

ということで「にほんのボンバルディアDHC-8」を更新。

より以前の記事一覧