旅客機:その他のコミューター機

2012年10月24日 (水)

旧JASグループの旅客機

旧JALに引き続き、旧JAS。
具体的にはJASとJAC。HACは、最終的にグループを離脱したので含めなかった。

なお、JALとの経営統合の経過は次の通りである。
  2002年10月 共同持株会社設立(経営統合)
  2004年04月 日本航空ジャパンに商号変更、全便JAL便に
  2006年10月 JALに吸収合併

グラフは、
  コミューター機(80席未満)
  国内線向けの双発ナローボディ機
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材
という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

なお旧JASグループの場合、A300B4とA300-600に国際線仕様があったが、運用時期が判然としないので国内線向けとして集計している。

旧JALグループの現有機材は、JALとの合併後に一挙に整理が進み、2012年4月時点で、コミューター機22機, 1,200席、国内線向けナローボディ機13機, 2,000席、国内線向けワイドボディ機7機, 2,600席、国際線向け機材なし、合計42機, 5,800席という陣容である。

Jas

コミューター機は、JACが運行している。
JACは、1983年にDo228, 2機で運行を開始した。その後JASからYS-11を路線ごと移管を受けた。
1992年から、Do228をSaab340Bで置き換え、1995年4月時点では、YS-11とSaabの2機種による18機の陣容となった。

その後、Saabの増備を続ける一方、経営統合後の2002年よりDHC-8-400の導入を始め、YS-11を置き換えた。
2012年4月現在、DHC-8-400が11機、Saab340Bが11機、合計22機の陣容である。
シンプルな置き換えと、フリートの拡大である。

Jascommuter

ナローボディ機は、YS-11からスタートした。その後、行政指導でJALに召し上げられていた727が返還されるが、当時のTDAは2名乗務のDC-9を選択し、1980年4月時点では、この2機種による64機のフリートが形成された。ナローボディ機の機数のピークは1980年から82年の3年間で、席数的にもその後と遜色のない規模に達していた。

1981年からDC-9-41のDC-9-81への置き換えが始まり、YS-11も若干数を減らし、1985年4月時点では、3機種による57機の陣容となり、機材の大型化が始まる。
1985年からはDC-9-81と同型ながら新世代のコクピットを備えたMD-81の導入が、また1988年からはMD-81と同世代で短胴のMD-87の導入も始まったが、これらはDC-9-41を置き換えるというよりは、YS-11をジェット化、大型化するという意味合いが強いようだ。またこの間、JACへのYS路線の移管が始まった。1992年4月時点では、5機種による55機の陣容となった。

その後、DC-9-41/81の置き換えが、MD-81の増備、MD-81をグラスコクピット化したMD-90の導入で進められ、2000年から2007年の8年間、MD-81/87/90の3機種による42機体制が続いた。

JALへの吸収合併後、まずMD-87が早々に淘汰された。次いで一部がJEXに移管されたMD-81が淘汰された。そして最後にMD-90の淘汰が現在進められている。
この間JALでは737-800の大量増備が行われているが、737-800はこれらMDの3機種, 42機に加え、JEXの737-400, 8機も置き換えており、MDの3機種の一部は削減対象であったことがわかる。

Jasnarrow

ワイドボディー機は、かつては45/47体制の下で国内幹線への就航に制約があったこともあり、JALやANAより導入時期が遅く、1980年より始められた。
機種はエアバスのA300で、B2型、B4型、600型と一貫して増備が続けられ、JALとの経営統合前までに、3機種合わせて36機が導入された。これらの一部は国際線にも運用された。
また、1996年からはA300と平行して、777-200が7機導入され、2000年から2002年の間は、これら4機種による43機の陣容となった。

JALとの経営統合を経て、まずB2/B4型3機が600型で置き換えられ、その後B2/B4型が順次削減されていった。JALへの吸収合併後の2007年4月時点では、A300B2/B4の淘汰が終わり、A300-600と777-200の2機種による29機の陣容となる。
この状態が、JALの会社更生法申請の2010年まで続いた。しかし、その後2011年までの1年間で、22機のA300-600が一挙に淘汰され、2012年4月現在、777-200の7機に整理された。

Jaswide

最後に国際線向けの機材。
JASは、45/47体制の崩壊を受け、1988年より国際定期便に就航した。当初はA300B4の一部に国際線仕様を設定したが、同時に長距離の路線就航に向けて、DC-10-30を2機導入した。
しかしDC-10を生かす路線開拓が思うように進まず、後に傘下のハーレクィンエアによるチャーター運用などを経て、2000年までに退役した。


全体として眺めると、1970年代から1980年代前半はYS-11とDC-9による基礎固めの時代、1980年代後半から1990年代前半はワイドボディ機の導入期、1990年代後半から一挙に拡大を図ったが、2000年代に入り破綻し、JALとの統合に至った。1990年代後半に一挙に拡大路線に転じていた事が、2000年代の環境変化への対応を困難にしたと考えられる。
統合後のJASの処分は、JACの路線と機体、MDが飛んでいた地方路線(機体は737-800へ転換)、そして777-200の機体の3つを残して解体されたと見る事ができよう。

2012年10月22日 (月)

旧JALグループの旅客機

ANAに引き続きJAL。
まずは、JAS, JACを除いた旧JALグループ。具体的には、JAL, JEX, JTA, J-AIR, RACの5社。

グラフは、
  コミューター機(80席未満)
  国内線向けの双発ナローボディ機
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材
という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

なお旧JALグループの場合、767-200が国際線・国内線共通機材であったが、国内線向けとして集計している。

旧JALグループの現有機材は、2012年4月時点で、コミューター機24機, 1,400席、国内線向けナローボディ機48機, 7,600席、国内線向けワイドボディ機35機, 11,700席、国際線向け機材64機, 約14,800席、合計171機, 35,600席という陣容である。

Jal

コミューター機は、J-AIRとRACの2社が運行している。
J-AIRは、1991年に前身である西瀬戸エアリンクのEMB-110, 2機をジャルフライトアカデミーが引き継いで発足したが、早々にBAe Jetstream, 5機に置き換えられた。2000年からこれをCRJ-200, 9機で置き換え、2008年からERJ-170, 10機を増備している。

RACは、1987年に独立会社として運行開始後、1991年にJTAの傘下に入った。当初はBN-2, 2機であったが、1992年にSWAL(後のJTA)のDHC-6を路線ごと移管を受けた。1997年から、DHC-6をDHC-8-100, 4機で置き換えるとともに、DHC-8-300も1機導入した。BN-2は、2009年に退役した。

2012年4月現在、ERJ-170が10機、CRJ-200が9機、DHC-8-300が1機、DHC-8-100が4機、合計24機の陣容である。
今後は、ERJ-170の増備が予定されている。

Jalcommuter

ナローボディ機は、45/47体制の下、1995年まではJTAのみの運行であった。
JTAは、1970年時点ではYS-11のみであったが、1978年から737-200の導入を始め、1994年からは737-400を導入し、先の2機種を置き換えた。

JALは1995年から737-400の導入を始め、1998年より運行の主力をJEXに移管した。2006年より737-800の導入を始めた。737-400はJTAに移管し、JTAの中古導入機を淘汰した。2008年から737-800の怒濤の導入が続いているが、これにはJASのMD-81/87/90の置き換え分も含まれていると考えられる。

2012年4月現在、737-800が32機、737-400が16機、合計48機の陣容である。
今後は、737-800の導入が続くが、2013年で一段落しそうである。737-400は、一部の退役が予定されているほか、置き換えは繰り延べとなっている模様である。

Jalnarrow

ワイドボディー機は、かつては45/47体制の下、JALの国内線の主力であった。
1970年時点では、CV-880や727-100が中心であったが、DC-8-61での置き換えが急速に進み、1976年4月時点では、DC-8-61を主力に、747SRも加え30機の陣容であった。727-100は、国内線・近距離国際線兼用として2機が残され、1987年まで使われた。
1983年4月時点では、DC-10の導入を終え、DC-8を半減し、33機の陣容となった。
1988年4月時点では、DC-8の退役を終え、747のClassic型、DC-10に、767-200/300も加え、32機の陣容となり、機材の大型化が進んだ。なお、767-200は、727-100に代わる、国内線・近距離国際線用の機材であった。

その後、747のClassic型を747-400Dで置き換えつつ、767-300の増備も行われ、1994年4月時点では38機の陣容となり、機数の増加に軸足が移る。
この傾向はその後も続き、DC-10を置き換えつつ、767-300、777-200/300の増備・導入が続き、2004〜5年には、51機の最盛期を迎える。この時点でも、747のClassic型が7機も残っていた。

その後、747のClassic型の本格的な退役が始まるが、会社更生法申請前年の2009年4月時点では、まだ合計47機を擁していた。
会社更生法申請後の動きは劇的で、747及び767-200を全廃し、767-300、777-200/300の3機種による35機に整理された。この間、767-300の初期導入機が、767-300/ERの国内線仕様により置き換えが始まった。

Jalwide

最後に国際線向けの機材。国内線向けのワイドボディ機と似た経過をたどっている。
1976年4月時点では、DC-8と747がほぼ同数で、37機の陣容であった。
1982年4月時点では、DC-10の導入を終え、DC-830/50を淘汰し、747も増備して、45機の陣容となった。
1989年4月時点では、DC-8の退役を終え、747をさらに増備し、DC-10の国内線からの転用も加え、55機の陣容となった。機材の大型化とともに、機数の増加も果たしている。

1990年から747-400の導入が始まるが、747のClassic型の退役は一部にとどまり、DC-10を残したままMD-11の導入も進め、1997年4月時点には84機を擁する最盛期を迎えた。767-300シリーズは、近距離専用の300型が2機導入されたのみで、300/ER型はまだ導入されていない。

その後、747 Classic型、DC-10、MD-11の退役が始まり、代わって747-400の増備、767-300/ER、777-200/ER、777-300/ERの導入が進められ、2006年4月時点では、DC-10、MD-11の退役が終わり、新世代機を中心に79機の陣容となる。しかし、747 Classic型が14機、747-400が34機と、まだ747がフリートの中核であった。
会社更生法申請までの間に、767-300/ER、777-300/ERによる747-Classic型の置き換えが進んだが、申請前年の2009年4月時点で、5機の747 Classic型、29機の747-400を擁していた。
そして会社更生法申請後は、これらの747型が一挙に淘汰される一方、若干の767-300/ER、777-300/ER、787が導入されただけで、ワイドボディ機は約2/3に整理された。
この間、アジア路線向けに737-800の国際線仕様が9機導入され、機材のダウンサイジングに拍車をかけている。
2012年4月時点では、767-300/ERが29機、777-200/ERが11機、777-300/ERが13機、787-8が2機、737-800が9機、合計64機の陣容である。

Jalint

全体として眺めると、1970〜80年代は国際線の形成期、国内幹線の充実期、1990年代は国際線の躍進期、国内線亜幹線への進出期であった。しかし2000年代に入って環境変化への対応が遅れ、国際線・国内線ともにフリートの再構築が後手に回り、会社更生法申請を経て2010年代に入って会社再建の中で一気にリストラクチャリングが進められたと見る事ができる。

2012年10月14日 (日)

ANAグループの旅客機

機種別のリスト作成、機材の大きさ別の考察が終わったので、最後に会社別の考察。

グラフは、

  コミューター機(80席未満, グループ内のコミューター航空運行のYS-11はこちら)
  国内線向けの双発ナローボディ機(グループ親会社運行のYS-11はこちら)
  国内線向けのワイドボディ機(多発ナローボディ機を含む)
  国際線向けの機材

という、大きく4区分で描いた。多発のナローボディ機(DC-8や727)はジェット黎明期の機材であり、ワイドボディ機で置き換えられたと考え、ワイドボディ機のカテゴリーに含めた。

JALは経営統合があって複雑なので、まずはANAグループを考察し、大きな流れを把握する。

なおANAグループの場合、国際線で運用されたL-1011と747SRは運用時期が判然としないため、777-200の元国際線仕様は運用時期が判然としない事と当初より頻繁に国内線での運用があったようであるため、すべて国内線向けとして集計している。

ANAグループの現有機材は、2012年4月時点で、コミューター機21機, 1,500席、国内線向けナローボディ機70機, 10,400席、国内線向けワイドボディ機67機, 24,000席、国際線向け機材59機, 約12,700席、合計217機, 48,600席という陣容である。

Ana

コミューター機は、まず1974年からエアーニッポン(ANK, 当時は日本近距離航空)のDHC-6が、1978年からはANKに移籍したYS-11も運行された。
その後エアーセントラルのフォッカー50をはさんで、2001年からANAウイングス(AKX)のDHC-8-Q300とDHC-8-Q400に置き換えられていった。
コミューター機は、空港の滑走路延長に伴って機材の大型化やジェット化が行われる場合があり、一概に後継機を挙げることが適切でない場合があるが、おおよその変遷は下図のとおりである。

2011年からは、Q300型の退役が始まり、Q400型への機種統一が進められている。2012年4月現在、DHC-8-300が3機、DHC-8-400が18機、合計21機の陣容である。

Anacommuter

国内線向けの双発ナローボディ機は、1970年時点ではフォッカーF27がまだ残っていたが、程なくYS-11へ置き換えられ、737-200の導入も進んだ。これらの2機種による40機以上の状況が1990年まで続いた(ANKのYS-11を含む)。

1991年から、A320による置き換えが始まり、1995年からは737-500も加わった。また1998年からはA321、2000年からは中古の747-400も2機導入され、2004年4月時点でこれら4機種による62機となった。
737-200は主にA320で、YS-11は主に737-500で置き換えられ、A321はワイドボディの767-200の置き換えであったと考えられる。

その後、2005年から737-700の導入が始まる一方、A320の初期導入機やA321の退役が始まった。さらに2008年からは737-800の導入も始まり、2012年4月現在、A320が21機、737-500が16機(他にADOに7機が移籍)、737-700が16機、737-800が17機、合計70機の陣容である。
2004年以降の動きは、機材の大きさに関係性が見られず、ワイドボディ機を含めたフリートの再構築(とボーイングへの統一)が行われていると考えるべきだろう。

今後は、737-800が10機発注中であるがA320を代替する規模ではなく、また737-500の後継機も明らかにされておらず、エアバス、新旧737の混成編隊がしばらく続くと思われる。

Ananarrow

国内線向けのワイドボディ機は、1970年時点は727-100から727-200への移行途中であり、1974年に完了する。平行して1973年からL-1011の導入も始まり、1978年半ばまでに2機種合わせて47機が導入される。
しかしそれも束の間、1978年末から747SRの導入が始まり、かわって727-200、L-1011の一部が退役し、1983年4月時点では、3機種合わせて56機となった。

次いで、1983年から767-200の導入が始まる。導入時期や機数から、767-200は、主として727-200の後継として導入されたとみることができる。
767-200の導入が終わると、1987年から767-300の導入が始まる。727-200の退役が終わった1991年4月時点では、L-1011、747SR、767-200、767-300の4機種による71機となった。

1992年から747-400Dの導入が始まり、引き続き、1995年から777-200、1998年からは777-300の導入が始まった。この間、L-1011、747SR、767-200の退役が始まる。L-1011の退役が終わった1999年4月時点では、747SRが12機、747-400Dが11機、767-200が18機、767-300が35機、777-200が12機、777-300が4機、合計92機という最盛期を迎える。
L-1011は、早期退役機は747SRで、中期は767-200で、最終期は767-300と747-400Dで複合的に置き換えられていると読み取れる。

その後、747SR、767-200の退役を進める一方、777-200/300の増備を進め、2006年4月時点では、747-400D、767-300、777-200、777-300の4機種による70機に整理された。
747SR、767-200を補うほどの777の導入は行われず、22機の減少となっている。一部はA321などのナローボディ機で置き換えられた他、バブル崩壊後の経済情勢や、羽田空港の沖合展開、伊丹空港の多発機の乗り入れ禁止になどに対応するフリートの再構築が行われたと考えられる。

その後は、747-400Dの退役を進めながら、2011年から787の導入が始まり、2012年4月現在、747-400Dが8機、767-300が32機、777-200が16機、777-300が7機、787-8が4機、合計67機の陣容である。

今後は、777-200/ERの国内線仕様と、787の増備が予定されており、それに応じて767-300の初期導入機の退役が進むものと考えられる。

Anawide

最後に国際線向けの機材。
ANAの国際定期便への進出は1986年であり、当初はL-1011を使用し、順次747-200Bの導入を進めた。747-200Bに引き続き、767-300/ER、747-400の導入を進め、747-200Bの導入が終わった1991年4月時点では、これら3機種による11機となった。

その後、747-400の導入が終わると、引き続き1999年から777-200/ER、2004年から777-300/ERの導入が始まる一方、747-200Bの退役がはじまった。747-200Bの退役、777-200/ERの導入が終わった2007年4月時点では、747-400、767-300/ER、777-200/ER、777-300/ERの4機種による48機となった。

その後、747-400の退役を一気に進めるとともに、787の導入や、A320、737-700/ERなどアジア路線向けのナローボディ機も加え、2012年4月現在、767-300/ERが25機、777-200/ERが7機、777-300/ERが19機、787-8が2機、A320が4機、737-700/ERが2機、合計59機の陣容である。

767-300/ERは、この間導入し続けられてきたが、787の導入が始まり、今後は初期導入機の退役や、場合によっては国内線への転用も考えられる。
747は、200B型は747-400と777-200/ERで、747-400は、777-200/ERと777-300/ERで置き換えられたと考えられる。
国際線向け機材については、国内線で見られたフリートの再構築の動きは見られない。

Anaint

全体として眺めると、1970年代は国内線向けワイドボディ機の増備期、1980年代は小康期、1990年代はYS-11のジェット化とワイドボディ機の大量増備期、そして国際線への進出期、2000年代は国内線のフリート再構築期と国際線の躍進期といった特色が見えてくる。

特に2000以降は、国内線ではワイドボディ機の整理とナローボディ機の増備が進み、機数は横ばい、席数はやや減少というダウンサイジングが急速に進んでいるのに対し、国際線はダウンサイジングを進めつつ、機数、席数ともに伸ばしており、国内線のプレミアムクラスの充実とともに、フルサービスキャリアの道を邁進している事がわかる。

2012年10月 5日 (金)

9月のボンバルディアDHC-8の動き

JACに動きはなし。新鶴丸も未登場。

AKXでは、Q300型のJA803Kが、9/29より保管となった。残るQ300型は1機のみ。
また、8月にデリバリーされたQ400型のJA460Aが、8/10付けで正式登録された。

また恒例の赤い羽根のステッカーがJA842A〜JA845Aの4機に施された。場所は左右の操縦席の窓の後ろ。今年は赤い羽根の周りにリングが配された少し豪華なステッカー。ただし目立たない事に変わりはないが...


他のコミューター機に動きはない模様。

ということで、「にほんのボンバルディアDHC-8」を更新。

2012年6月 9日 (土)

1970年以降のにほんのコミューター機、40席以上篇

70年以降に現役だった40席以上のコミューター機のまとめ。
言い換えると、40席以上で、1列4席の座席配置。日本での登場順に並べると次のとおり。

フォッカーF27フレンドシップ44席1958年就航ターボプロップ
日本航空機製造YS-1164席1964年就航ターボプロップ
フォッカー5056席1987年就航ターボプロップ
ボンバルディアCRJ50/70席1992年就航ジェット
ボンバルディアDHC-8-Q30056席1989年就航ターボプロップ
ボンバルディアDHC-8-Q40074席2000年就航ターボプロップ
エンブラエルERJ-170/17576/84席2004年就航ジェット

グラフを見て一番感じることは、YS-11の後継機種はDHC-8-Q300/400という定説は疑わしいこと。

確かに、座席数64席に匹敵するターボプロップ機はQ400しかないが、Q300, CRJを含む新世代機の導入が始まる以前に、YS-11の退役は終盤に差し掛かっており、機数でも席数でも2000年前後に大きな谷ができてしまっている。
これを正しく読み取ると、YS-11を置き換えたのは737-400/500, MD-81/87/90, A320など120〜160席のナローボディ機であり、新世代のコミューター機は2000年以降に新たな路線、新たな運用方法で導入が始まったとみるべきであろう。

すなわち、かつてYS-11が就航していた羽田、伊丹などと地方都市を結ぶローカル線は、その需要の伸びに応じて、また地方空港の滑走路の延長に伴って、ナローボディ機、場合によっては767,A300などワイドボディ機によって代替されていった。一方新世代のコミューター機は、地方都市間に発掘した新たな需要に適した機材として、あるいはローカル線の多頻度運行など新たな運用方法に適した機材として、導入されていったという見方である。


機種ごとの動きを見ていくと、各機毎の記事で考えたことでもあるが、まずDC-3をヘロン、ノール、コンベアライナーなどで置き換え、間にフレンドシップやバイカウントなどの中継ぎをはさみながら、最終的にYS-11に置き換えていったのが1960年代の動き。1960年代後半からは、727やDC-9によるジェット化も始まっていた。
その後1980年にかけて、需要の増大にあわせてYS-11の中古機導入が行われるが、やがてローカル線のジェット化に伴い、YS-11の退役が始まる。

1990年代には、小牧空港をベースとする中日本エアラインサービスによって、新たな都市間輸送を開拓するためにフォッカー50が導入されたが、少数勢力に終わった。同時期には、YS-11を使って千歳、福岡などを拠点とする都市間輸送の路線開拓が始まり、日本近距離航空(NKA→ANK)、日本エアコミューター(JAC)などが設立され、YS-11も移管されていった。

そして2000年代に入って、DHC-8-Q300/Q400, CRJ, ERJ170/175など新世代のコミューター機の登場を受け、ANK, JACのYS-11を置き換えたり、新たな地域航空会社の設立に伴って導入されたりし、現在では機数、席数ともにYS-11の最盛期に迫る勢いを見せており、状況はなお進行中である。

DHC-8-Q300/Q400がYS-11の後継機種となったのは、この最後のフェーズにおける約20機の代替のみであり、残る約60機のYS-11はナローボディー機によって代替されたと考えられる。
YS-11は単に小型の航空機であって、現代の区分で言うコミューター機ではないことがわかった。

ということで、特に更新はないが、関連する機種のリスト。

にほんのノール262
にほんのコンベア240/440
にほんのフォッカーF27,フォッカー50
にほんのビッカース バイカウント
にほんの日本航空機製造YS-11
にほんのボンバルディアCRJ
にほんのボンバルディアDHC-8
にほんのエンブラエルERJ-170/175

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2012年6月 5日 (火)

「にほんの日本航空機製造YS-11」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその4

真打ち「にほんの日本航空機製造YS-11」。

JASグループは、総計49機を導入した。
内訳は、日本国内航空(JDA)が19機、東亜航空(TAW)が14機、合併後の東亜国内航空(TDA)が導入したものが18機。この内、JDA・TAW両社が日航製より短期リースした試作2号機1機、TAWがJDAより短期リースした1機の都合2機がダブルカウント。
JDAとTAWを比べると、導入機数、導入時期から、JDAの方がやや積極的に見える。
YS-11以前は、JDAが若干数の727を保有していた以外は、両社ともヘロンやコンベア240などのレシプロ機を運用しており、YS-11が飛躍の機種となっている。

また、1973年の製造終了までに導入されたものが33機、製造終了後に中古機として導入されたものが16機となっている。製造終了前の33機にも、導入前に日航製より南米へ短期間リースされた機が5機存在するが、これは日航製の営業活動に協力したとも解釈できる。
在籍数のピークは1980年で42機、その後1982年までが40機である。

型式別では、試作/100型が22機、300/600型が6機、200/500型が21機。
コンビ型である300/600型は、新造2機、中古4機であるが、新造の1機は1975年、もう1機の新造機と中古の1機が1981年と比較的早期に退役し、残る中3機が1990年に退役した。
改良型である200/500型は、21機中12機が日本エアコミューター(JAC)に移管され、2006年まで生き残った。JAS所属機は1993年までに退役している。
100型は、TAW導入機が1980年代はじめから退役が始まり1980年代末に退役が終わっているのに対して、JDA導入機は1980年代末から退役が始まり、200/500型が退役やJACへの移管を終えた後も生き残り、1996年のJASラストフライトを務めている。JDA仕様の方が使い勝手が良いと言ったことがあったのだろうか。

JACへの移管は1988年から始まり1994年に終わった。JAC所属機は、型式も500型に統一され、JASとは少し異なるJACレインボーに塗られた12機のフリートを形成した。国内定期路線最後ともなったラストフライトは、2006年であった。


日本航空クループでは、日本航空は45-47体制により国内ローカル線に就航できず、JDAからウェットリースした1機を福岡〜釜山線に運行したのみであった。
南西航空(SWAL→JTA)は、当初の主力機として8機を導入した。内訳は新造5機、中古3機であったが、最後の中古機導入の4年後にあたる1979年以降、TDAへ2機を売却、1機をリースしてフリートを縮小した。ラストフライトは1998年であった。


ANAグループは、総計44機を導入した。
内訳は、1973年の製造終了までに導入されたものが39機、製造終了後に中古機として導入されたものが4機、製造終了後に日航製より短期リースした試作機が1機。
ANAは、JASと異なり、YS-11以前にもバイカウントやフレンドシップなどのターボプロップ機を導入していたが、YS-11と同時に727を導入することで、飛躍していった。

型式別では、試作/100型が11機、200/500型が31機、300/600型は中古機のみの2機。
改良型である200/500型を中心に導入したこと、中古機をあまり導入しなかったことなど、JASに比べると計画性が感じられる。
在籍数のピークは1980〜82年の34機であった。

興味深いのは、新造機で導入された最後の5機は、1979年までに、導入後3〜7年でSWAL、TDA、海保へ移籍していることである。これらの5機のうち4機は日航製からのリース、1機はまだ珍しかったリース会社からのリースであり、日航製の救済的な側面があったのかもしれない。ただしこれら5機を手放した後で、中古機を4機導入し、日航製から試作1号機のリースを受けていることから、自社の運用上、全く不要だった訳ではないようである。
リセールバリューのあるものから処分していくところは、昨今のA320の動きと似ている。

日本近距離航空(NAK→ANK)への移管は、JASからJACへの移管より早く、1978年から始まっている。
JACのように機種統一を図るのではなく、各型式を順次移管していった。そして1991年に、ANAでの運行を打ち切るように残る数機を一挙にANKに移管し、ANAはラストフライトを行った。NAK/ANKへは、ANAの導入数の2/3にあたる合計28機が移管された。

NKA/ANKへの移管の方法は、海外へ売却したものをNKA/ANKが買い戻したり、一旦NKA/ANKにリースした後ANAに戻したり、ANKが購入した中古機がANAへ移籍したりと、バラエティーに富んでいる。

ANKからの退役は、1990年代後半から加速し、ラストフライトは、JACより一足早い2003年であった。


官公庁・軍用では、民間の1/3にあたる34機が導入されている。
内訳は、海保が5機、航空局/航空大学校が6機、空自が13機、海自が10機。空自は全機が現役、海自は退役進行中、海保、航空局のJAレジ機は寿命を全うして退役している。


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2012年6月 3日 (日)

「にほんのビッカース バイカウント」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその3

その3は「にほんのビッカース バイカウント」。

フレンドシップと同時期、ANAが合計11機を導入した。
世界初のターボプロップ機であり、1948年から開発が始まり、700型が1953年から運行を開始した。しかし、YS-11やフレンドシップも搭載したロールスロイス・ダートはまだ出力が低く、700型で53席のキャパシティに対して4発を要した。代表的な型の出力は次のとおりであり、バイカウント開発時のダートエンジンは、YS-11開発時の半分程度しかなく、4発を選択せざるを得なかったことがわかる。

Viscount 700:53席:Dart Mk.506:1,547 hp×4=6,188 hp
Viscount 810:71席:Dart Mk.525:1,990 hp×4=7,960 hp
F27-200:44席:Dart Mk.532:2,250 hp×2=4,500 hp
YS-11-100:64席:Dart Mk.534:2,660 hp×2=5,320 hp
YS-11A-200:64席:Dart Mk.542:3,060 hp×2=6,210 hp

ANAは、JALへの対抗上からも、60席級のターボプロップ機を切望していたようで、1960年には、翌年の800型受領までの継ぎとして、ビッカース社より700型を2機リースしている。
翌1961年からは、68席仕様の800型が9機導入される。そして、バイカウントが9機揃った2年後の1965年には、52席で空冷星形エンジンのコンベア440型が就役わずか4〜6年で退役している。

これで、44席のフレンドシップと68席のバイカウントによるターボプロップ・フリートが完成したかに見えたた。しかし、1965年に、双発で64席のYS-11が登場すると、4発で開発時期の古いバイカウントは、コンベアと同じように、就役7〜9年で退役してしまう。ANAの資料によれば有償の運行は1969年までのようである。

退役後のバイカウントは、インドネシアやコロンビアへ渡るが、2機は売却されることなく機齢8年で解体されている。英国航空(BA)では1980年代まで使用されたようだが、1970年時点で既にリセール・バリューがなくなっていたことがわかる。

ということで、コンベアライナーに続き、「70年代以降」という条件からはスカでした。

2012年6月 2日 (土)

「にほんのフォッカーF27, フォッカー50」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその2

その2は「にほんのフォッカーF27, フォッカー50」。

F27フレンドシップは、ANAがYS-11導入前夜の1960年代前半に25機と大量導入した。
F27の導入は1964年末で終了するが、翌1965年からANAはYS-11と727-100の導入を開始する。これら2機種が一定数に達した1970年以降、F27は機齢10年前後で放出されていく。

即納可能で、ある程度実績のある機種として選ばれたと考えられるが、YS-11が実用に足るとみるやお払い箱になったのか、44席というキャパシティーが都市間輸送には小振りだったのか。
YS-11のライバルとして、フレンドシップとともに名前が挙げられる機種にアブロ748がある。フレンドシップが1958年の運行開始で44席、アブロが1962年の運行開始で40〜58席、YS-11が1965年の運行開始で64席という数字を並べてみると、1960年前後の段階ではフレンドシップしか選択肢はなく、キャパシティ云々は言っていられなかった事情がわかる。やはり中継ぎだったとみるべきだろう。

退役後のフレンドシップは、ドイツ、インドネシア、パキスタンなどに渡り、パキスタン国際航空のものは近年まで飛んでいたようだ。

その20年後、中日本エアラインサービスの立ち上げに際して、フレンドシップを近代化したフォッカー50が導入された。小牧をハブとする地域航空会社としてスタートしたため、導入機数は4機と少なかったが、フレンドシップの特徴的な姿が日本の空に戻ってきた。大型化され56席となり、新しいエンジンに6枚翅のプロペラも装備されたが、1950年代風の段付きの機首の形状はそのままである。

中日本エアラインサービスがエアセントラルと名を変え、ANAの100%子会社としてANAウイングスに統合されていく過程の中で、機種統一のためにDHC-8-400に置き換えられ、15年前後の機齢で退役していった。初号機であるJA8875は、2007年の退役まで赤い旧塗装で過ごした。

退役後のフォッカー50は、まだ機齢20年前後であり、コンゴ、スウェーデン、インドネシア、モンゴルの空で現役である。

2012年6月 1日 (金)

「にほんのコンベア240/440」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその1

40席未満のコミューター機のグラフが描けたので、40席以上のコミューター機に着手。
最初は「にほんのコンベア240/440」。

空冷二重星形エンジンである。ダブルワスプである。
こんな大時代なものが70年代も飛んでいたのかと思ったが、残っていたものもストア状態でほとんど飛んでいなかったようだ。

全部で20機が導入されたが、後にTDAとなる日本国内航空(JDA)と東亜航空(TAW)がその大半の16機を使用していた。
TAWは退役時期が70年代に入ってからと遅く、売却先を失ったのか、その多くが各地の屋上に展示された後に解体されている。一方、JDAは66〜67年頃に売り抜けているが、その後航空会社で使われることなく解体された機体も多い。

南西航空は、その立ち上げにあたって、JDAの3機をJALを通してリースし2年ほど使用した。

ANAは、ストレッチ型である440型を4機導入したが、これも65年までに退役させている。

いずれもYS-11に置き換えられていったものと考えられるが、振動、騒音が大きく、整備にも手間がかかる星形エンジンであることを思えば当然か。

コンベア・ライナー自体もターボプロップ化されるが、より設計の新しい国産機であるYSがあったわが国では、導入や改修を行うユーザーはいなかった。

ということで、「70年代以降」という条件からはスカでした。

2012年5月31日 (木)

1970年以降のにほんのコミューター機、40席未満篇

非現役機シリーズの成果を使って、70年以降に現役だった40席未満のコミューター機のまとめ。
40席未満であること、またその導入の経緯から、DHC-8-100/200を含める。
なおグラフは、民間航空会社のみで作成しており、官公庁の所有機は含まない。

70年代初頭はヘロンがまだ残っていたが、どれほど運用されていたかは判然としない。

その後、アイランダーとDHC-6の導入が進む。
機数ではアイランダーの割合が高い状況が90年代半ばまで続く。アイランダーの退潮は意外と遅く、05年以降。
DHC-6は、機数的にも、座席数的にも、70年代から90年代の前半まで、日本の南端と北端の離島空路を支えていたことがわかる。

80年代以降、すなわちバブル期以降、トライアンダー、ドルニエ、バンデイランテ、ジェットストリーム、ビーチ1900と、多彩な19席級の機種が少数ずつ就航するが、いずれもあまり長続きせずに撤退したり、より大型の機種に転換されたりして行く。わが国の諸条件の中で19席級による路線運営はかなり難しいようである。
生き残っているのは、伊豆諸島路線のドルニエのみで、これは近年アイランダーから大型化されたものである。伊豆諸島は、ジェットフォイルなどの高速船が就航していないにも関わらず、ある程度の人口や観光需要があるため、19席級が生き残れているのではないだろうか。

90年代以降は、真打登場というか、40席弱級のサーブとDHC-8-100/200が現れ、機数はもとより、座席数の大幅増をもたらす。ここ10年ほどは安定した状況が続いており、やっと離島などを結ぶコミューター路線運営の勘所がわかってきたということか。
近年のJAL、ANAとの提携による知名度の向上やチケット販売の効率化なども、効果を上げていると考えられる。

特に更新はないが、関連する機種のリスト。
にほんのデ・ハビランドDH-114ヘロン
にほんのブリテン・ノーマン アイランダー
にほんのデ・ハビランド・カナダDHC-6ツイン・オッター
にほんのドルニエ228
にほんのエンブラエルEMB-110バンデイランテ
にほんのBAeジェットストリーム31
にほんのビーチクラフト1900
にほんのサーブ340
にほんのボンバルディアDHC-8


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