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2012年6月

2012年6月30日 (土)

5〜6月の767の動き

ANAから。
300型、JA8271が6/1から保管となった。既にJAレジのままヴィクターヴィルへ送られたようなので、解体と思われる。
「ご当地プレーン」の767版は薩摩川内市。5月下旬〜6月上旬はJA8567にステッカーが貼られていたが、その後JA8363に変更された。いずれも300型。
6/20に成田空港でハードランディングした300/ER型、JA610Aは、損傷がかなり激しいようだか修理は行われるか?

続いてJAL。
300型に新鶴丸が登場。JA8397が5月中旬、JA8398が6月下旬。GEエンジン機の初号機から塗り替えているので、PWエンジン機は塗り替えられることなく退役だろうか?
また、300/ER型、JA615Jのサマンサタバサ・ステッカーが6/17で終了した。

767はこの2ヶ月で1機が退役し、運用中は125機。JA610Aを加えると、実質の運用中は124機となった。
ということで、「にほんのボーイング767」を更新。

2012年6月29日 (金)

1970年以降のにほんのナローボディ機

70年以降のにほんのナローボディ機のまとめ。
対象となる機種は、日本への導入順に列挙すると、DC-8、CV-880、B727、B737、DC-9, MD-80/90、A320/321である。

narrowbody_planes

グラフをみると1990年前後に大きな谷ができており、ここが大きな転換点となっている。
1990年頃までは、1960年代から導入が始まったジェット機の第1世代の時代であった。JALのDC-8, B727、SWALのB737-200、ANAのB727, B737-200、TDAのDC-9などが各社の看板機種として導入された。

ちなみにSuper80のロゴを入れていたTDAのDC-9-81は、あえてDC-9-41とパイロット資格を共通化できるコクピットを装備していたことから、ここでは第1世代に含めている。一方ほぼ同じ機体のMD-81は、次世代のコクピットを装備していたことから、ここでは第2世代に含めている。

第1世代機の退役時期に谷ができてしまったのは、これら第1世代機の置き換えに二つの方向性があったためと考えられる。

一つは、主に幹線に就航していた機材で、これらは1970年代に登場したワイドボディ機で置き換えられた。JALのDC-8, B727はB747SRやDC-10で、ANAのB727はトライスターやB747SR, B767-200で置き換えられ、代替となるナローボディ機は導入されなかった。これらの第1世代機は、洋上飛行も可能な中長距離用の3〜4発機であり、航空機関士を含む3人乗務であることが共通している。1972〜74年の70機以上をピークに、その後漸減し、1990年に姿を消した。

もう一つは、亜幹線やローカル線に就航していた機材で、これらはターボプロップ機であるYS-11のジェット化・大型化の受け皿ともなりつつ、1990年代以降になってややキャパシティの大きなナローボディ機に置き換えられたと考えられる。ANAのB737-200はA320やB737-500に、SWALのB737-200はB737-400にである。
TDAのDC-9は、これらを折衷した動きと考えられ、一部をワイドボディのA300で置き換える一方、YS-11を代替しつつ、最終的に直系の発展型であるMD-90やMD87で置き換えられたと考えられる。
こちらの第1世代機は、短中距離用の双発機であり、航空機関士を必要としない2人乗務であることが共通している。1980〜92年の40機強をピークに、2002年に姿を消した。

このように第1世代のナローボディ機が大きく2つに分けられることは、後者の双発機のみでグラフを描いてみるとよくわかる。1990年前後の谷がなくなり、右肩上がりの単純な正常進化のグラフとなる。
また、グラフには参考としてグレーでYS-11を描き加えたが、YS-11を加えてもグラフは破綻せず、右肩上がりのままである。YS-11のかなりの部分が双発のナローボディ機で置き換えられたことがわかる。

narrowbody_twin_planes

双発のナローボディ機は、その後第2・第3世代機と継続的に導入されていく。MD80/90シリーズが1985年から、A320/321が1990年から、B737-400/500が1994年から、そしてB737-700/800が2005年からの導入となっている。

MD80/90シリーズは、JASにおいてDC-9-41/81を置き換え、JALとの経営統合後も使用されたが、MD-87が2008年に、MD-81が2010年に退役したほか、MD-90もおそらく今年度中に退役し、B737-800への機種統一が図られようとしている。

A320/321は、当初はANAのみが導入した。ANAでは160席級以上はA320/321、130席級はB737-500と棲み分けを図ろうとしたように見えるが、その後競合機であるB737-700/800を導入する一方、平行していったん休止していたA320の導入を再開するなど混沌とした状況となり、機数としては伸び悩み状況となった。しかし2005年のスターフライヤー、2011年以降のLCC各社への採用により、今後大幅に機数を増やしていくものと考えられる。

B737の第2世代機は、大きくは200型と同じクラシック型に分類されるが、CFM56を装備した400/500型で、当初は200型の置き換えとして導入された。JTAでは大型化して400型が、ANAでは同じ席数の500型が選択され、これらは生産がNG型へ移行すると中古機での導入が続けられた。この他400型は、45/47体制の終焉で亜幹線に進出したJALに新造機が、ANAに八丈島線用の中古機が、新規参入組のスカイネットアジアに中古機が導入された。
JALグループの400型は最終的にJTAへ集められ、中古導入機の退役が完了し、今後は新造導入機の退役が始まる予定である。ANAの500型は、7機がAIR DOへ移籍、残る18機がANAウイングスへ移管され、ANAウイングスでは中古導入機の退役が始まっている。ANAの400型は、AIR DOへ移籍し、その後スカイネットアジアに再移籍している。スカイネットアジアの400型は、800型への置き換えが始まっている。

B737の第3世代機は、第2世代と同じCFM56装備ながらアビオニクス等を一新した700/800型で、JALグループ、ANAグループの亜幹線、ローカル線の主力となっている他、新規参入組のスカイマーク、ソラシドエア(旧スカイネットアジア)でも採用されている。
700型はANAのみの導入で2005年から、800型はスカイマークが最初で同じく2005年から導入が始まったが、関西、中部の開港、羽田の沖合展開などの環境変化を背景に、ここ数年は急速な導入が進んでいる。


ということで、特に更新はないが、関連する機種のリスト。
にほんのダグラスDC-8
にほんのコンベア880
にほんのボーイング727
にほんのボーイング737
にほんのマクドネル・ダグラスDC-9, MD-80/90
にほんのエアバスA320

2012年6月28日 (木)

JEXに737-800型新造機が到着

JEXの737-800型新造機、JA344Jが6/22に到着した。さっそく6/25の釧路便より就航した。

他には737の動きはない模様。
ということで、「にほんのボーイング737」を更新。

2012年6月26日 (火)

ANAウイングスのDHC-8-Q300に淘汰の兆し

ANAウイングスのDHC-8-Q300、JA802Kが5月初旬から保管となり、6月に入ってからはANAのロゴが消された姿が目撃されている。

同社のこれまでのQ300型の動きを見ると次の通りであり、Q400型の新造機導入のおよそ3ヶ月後にQ300型が退役している。

 2011/05/20:Q400型JA857A登録 2011/08/22:Q300型JA801K抹消 
 2011/10/27:Q400型JA858A登録 2012/02/01:Q300型JA805K抹消
 2012/03/15:Q400型JA859A登録 2012/06/xx:Q300型JA802K抹消(たぶん)

8月にはQ400型の新造機JA460Aが到着の予定となっているので、11月頃にもう1機が退役する可能性が高い。
ANAグループではさらに2機のQ400型を発注しているが、この2機で、Q300型の最後の1機の置き換えと、高知空港事故のQ400型の代替がまかなえる計算となる。もしかすると、今年度中にQ400型に機種統一されるかもしれない。
と思ってANAの事業計画をググってみたら、Q400に機種統一とありました。

その他、JACのQ400型JA841Cであるが、JACフェス2010のステッカーがまだ残っているようなのでリストを訂正した。

ということで、「にほんのボンバルディアDHC-8」を更新。

MobileMe終了対策の覚え書きその6

普段使っているマシンの獅子およびiCloudへの移行完了。
iPod touchもiOS 5にバージョンアップ。

目下の不満は「どこでも My Mac」が不安定なこと。ある程度時間が経つとマウントしていたボリュームが「予期せず」と言ってアンマウントされてしまう。MobileMeでは月イチぐらいだったのに。
ルータが、片側はAirMacだけど、もう片方はフレッツ提供のNECだからいけないのか? ちゃんとポートは空けてあるんだけどな。それでも環境設定のiCoudのペインでは警告が出ている。

2012年6月25日 (月)

LCC各社にA320の新造機が続々到着、他

運行開始が早い会社順に。

まずピーチ。6/20にJA804Pが関西に到着。これで4機体制となり仁川便を3往復に増便とのこと。早速6/23より就航したが、初便は福岡→関西便。前もってフェリーしてあったのか?

次いでジェットスター・ジャパン。6/21にJA03JJが成田に到着。これで予定の3機が出そろい、7/3の就航準備が整った。
またジェットスター・ジャパンでは、先に到着したJA02JJが5/24に正式登録されている。

最後はエアアジア・ジャパン。6/11にJA01AJが成田に到着。また6/15には、JA02AJが初飛行。FlyTeamでは「この2機体制で8/1から就航」となっているが、国交省のプレスリリースでは3機体制とある。どっちでしょう?


既存各社の動き。
ANAでは、3月から保管されていたJA206Aが5/31に抹消され、インドネシアのCitilink Expressに移籍した。同じく3月から保管されているJA207Aも、Citilink Expressに移籍するようだ。まだ運用中であるがJA205Aも秋には移籍が決まっているようで、これが現実となると残る国際線仕様はJA208Aの1機となる。
また4月よりエアアジアの訓練に使用されているJA8384は、5月中は移籍や抹消の登録はなかった。

スターフライヤーでは、「I LOVE KIX」のステッカーが終了。JA01MCが5月下旬から、JA05MCが6/9からステッカーをはがして運用についている。


ANAのJA206Aは保管扱いだったので、運用中の機数は3機の純増で37機。
ということで、「にほんのエアバスA320」を更新。
また、A320のグラフを描いたので公開。来年以降は機数も大幅に増え、グラフの様相も変わってくるだろう。


Airbus_a320

2012年6月23日 (土)

MobileMe終了対策の覚え書きその5

アップルさんは今日もひつこくMobileMeはあと7日ですと教えてくださいました。オソレイリマス。

さて、獅子への移行に伴うAdobeの処置。

Photoshopは、Photoshop Elementsに。私の用途で判明している難点は、文字のカーニングができないこと。まあ我慢する。アプグレード版で約1万円。

Illustratorは、Inkscapeを考えていたが、X11は日本語フォントを別途インストール必要があり、OTFのヒラギノなどはTTFにコンバートしないといけないらしい。
メンドイので他を探したところ、App StoreにiDrawというものを発見。2,200円の割にはよくできている。私の用途での難点は、アンカーポイントにスナップできないこと、カーニングができないこと、aiファイルが開けないことなどだが、まあ我慢。

ということで、あまり出費をせずに、意外と早く獅子に移行できそうだ。

2012年6月21日 (木)

MobileMe終了対策の覚え書きその4

DropBoxによるiDiskの代替、DropBoxを利用した各マシンの最新設定ファイルの収集と手動での設定ファイルの入れ替えによるブックマーク、カレンダーデータ、アドレスデータ、メールの各種設定、キーチェーンの同期が可能なところまでは到達した。
しかし同期は、バックアップアプリ+スクリプトによりダブルクリック1回で同期できるようにはしたものの、あくまでもデータの入れ替えであり、データのマージではないので、どのマシンの設定が最新かを常に意識しておく必要がある。

また、「どこでも My Mac」はiCloud同士でないと利用できないことも判明した。

ということで、豹や雪豹はやめて獅子に移行することに決定。
下準備として、Adobe製のPPCアプリを駆逐すべく、X11への移行を開始。

雪豹でもiCloudが使えるのではないかという信憑性の高そうなデベロッパからのリーク情報もあったけど、この話はきっとジョブスの死去で沙汰やみになったのではないだろうか。雪豹+ロゼッタ+iCloudが使えたらかなり便利だったのに。

2012年6月17日 (日)

JEXの737-800に様々な動き、他

MD-90の退役に向けた準備なのか、JEXの737-800に色々な動きがあった。

まずは新造機。JA345Jが6/9に到着し、6/13の帯広便から就航した。
また、6/2に到着していたJA343Jは、5/31に登録されるとともに、6/4の松山便から就航した。到着の翌々日の就航である。

次いで初飛行。JA344Jが6/4、JA346Jが6/14に初飛行した。前者は6月中、後者は7月初旬の到着だろうか。

新鶴丸は、JA333Jが6/3から、JA332Jが6/10から、新鶴丸となって運用に復帰している。これでJA329J以降は全機新鶴丸となった。JEXの737は、新鶴丸18機vsアーク15機と、新鶴丸が過半数となった。

また、小糸くん家の後始末のJクラス設置改修は、JA326Jが6/3から、JA327Jが6/14からV30となって運用に復帰している。残るV31仕様は12機。


他社の737では、ANAグループでは地味な動き。
737-800、JA57ANから、5/30にAIR NIPPON標記が消去された。
また、既に退役していた737-500、JA351Kが解体、JA355Kが部品取りとなっているようだ。機齢20年と16年だが再就職はかなわなかった。500型はクラシック型に分類されるので致し方ないか。

SKYでは、737-800、JA73NPが5/16に正式登録された。

ソラシド(SNJ)では、737-400、JA737Vが5月末にリースバックされ保管となったようだ。残る旧塗装2機のうちの1機が離脱したことで、旧塗装はJA737Fのみとなった。果たしてJA737Fは、退役か、新塗装か。
また737-400では、4月に退役したJA391Kが部品取りとなったようだ。こちらは機齢22年。やはり再就職はかなわなかった。
その他、5/12から就航している737-800、JA804Xが、5/1に正式登録されている。


ということで、「にほんのボーイング737」を更新。

また、737のグラフを描いたので公開。737-800の導入ペースはものすごい!


boeing_737

2012年6月16日 (土)

MobileMe終了対策の覚え書きその3

カレンダーデータもアドレスデータも、きちんとアプリを終了してから同期しないと、妖しい状態になることが判明。

カレンダーもアドレスも、ブックマークと同じように、本体は正規の場所に置き、DropBox内のマシン別フォルダーにシンボリックリンクを張り、各マシンの最新のデータをコレクションして、手動で(バックアップアプリで)同期する方法に変更した。
これならうまく行っている模様。

どのマシンのデータが最新かを常に意識しなくてはならない面倒くさい仕様になってしまった。ますます10.7に移行したくなってきた。
完全に作戦にはまってるぢゃん。ジョブスが生きてたらここまでエグくなかったぞ、きっと。

MobileMe終了対策の覚え書きその2

各種設定の同期を代替してくれるアプリケーションをいくつか見つけたが、どうも今ひとつなのでこれらは却下。

  • ToMacs:最新版が2009年と少し古いのと、設定だけでなく関連ファイルすべてをバックアップしようとするので、Mailなどは大変なことになってしまう。
  • fruux:正にMobileMe代替なのだが、この会社のサーバを使うというのがひっかかる。

ということで、次のような方針とした。(前回と同文あり)

  • iDiskは、DropBoxで代替する。
  • メールはiCloudへ移行するが、Mail.appで閲覧できない場合はWebベースで利用する。(休眠アドレスなので時々みられれば良い)
  • 同期のうち対象がフォルダのものは、DropBoxを使って同期できそうなので、同期する。
  • 同期のうち対象がファイルのものは、自動での同期は難しそうなので、DropBoxを使って最新のバックアップを自動作成し、同期はアプリケーションを使って手動で行う。
  • どこでもMy Macが使えるかどうか不明だが、使えない場合はVPNに戻る。その場合、10.7に移行できない最大の理由はバージョンアップが高価でばからしいAdobeのせいなので、GimpやInkscape等(X11)を試してみて10.7以降への移行も検討する。

以下個別の状況。

(iDisk)
うまく行っているようである。
色々いじっているうちに無料の容量も3.25GBまで増えてきたので、有料の容量は必要なさそうだ。^_^

(カレンダーデータ)
「バックアップ/リストアは、アプリで書き出し、アプリで読み込め」というタイプで、実際のデータは対象フォルダ内に個別ファイルで格納されているタイプ。
対象フォルダをDropBoxで同期しておけば、対象フォルダ内の変化をアプリが監視しているようなので、このやり方でしばらく様子を見る。
具体的には、DropBox内にLibrary_commonというフォルダを作り、その中にCalendarsフォルダを移動。Libraryフォルダ内にはDropBox内からのシンボリックリンクを配置。これを各マシンで行う。

(アドレスデータ)
カレンダーと同じ。

(ブックマーク)
「バックアップ/リストアは、対象ファイルをコピーし、対象ファイルを戻せ」というタイプ。対象がファイルのため、DropBoxで同期しLibraryフォルダ内はDropBoxからのシンボリックリンクという方法がとれない。
そこで、対象ファイルはLibraryフォルダ内に置いたまま、DropBox内に最新のバックアップを作成する。具体的には、DropBox内にLibrary_マシン名というフォルダを作り、その中に対象ファイルからのシンボリックリンクを配置する。そうするとDropBoxのサーバ内及び同期された他のマシンには、対象ファイルの最新コピーが保存される。これでDropBox内には、他のマシン毎のブックマークの最新バックアップが存在することとなる。
そこで、同期を実施したい時に他のマシンのより新しい対象ファイルと入れ替えれば同期が実現される。おそらくMobileMeは各マシンのブックマークをマージしてくれると思うが、この方法では各マシンでそれぞれブックマークが追加された時には、最後に追加したマシンのブックマークに統一されてしまうという欠点がある。ただし、日常的には自宅と事務所の2台のマックの同期ができれば十分で、使う人間は自分一人なので2台のマックを同時に使うことは無い。自宅に戻ったら、事務所で加えた変更を反映できれば十分なので、今回はこの方法で行くことにする。
同期の実施は、昔から愛用しているSync!Sync!Sync!というバックアップアプリを利用し、バックアップ実行のスクリプトを生成してDocに登録した。

(キーチェーン)
「バックアップ/リストアは、対象ファイルをコピーし、アプリ内でデータベースを閉じてから対象ファイルを戻せ」というタイプ。これは言われたとおりにやらないと、正しくリストアできない。
ブックマークと同様に、最新の対象ファイルのバックアップをコレクションすることは可能だが、同期の実施は手作業で行う必要がある。キーチェーンアクセスはスクリプタブルでないので、スクリプトでなんとかすることもできない。
しかし考えてみると、キーチェーンのファイルをDropBoxに配置するのはかなりヤバい行為である。また、キーチェーンに頼らずに、ID/PWは管理しておく必要もある。
ということで、キーチェーンの同期はあえて放棄。地道に各マシン毎にキーチェーンを育てることとする。

(メールアカウント、メールのルール、etc)
キーチェーンと似ているが、「バックアップ/リストアは、対象ファイルをコピーし、アプリを終了してから対象ファイルを戻せ」というタイプ。
これは、スクリプトで同期の実施をワンクック化することも可能そうだが、頻繁に同期の実施が必要なものでもないので、最新のバックアップをコレクションする程度に留め、同期したい時は手動でやることにする。

(ことえりユーザ辞書)
手動でも同期させる手段がわからなかった。同期したい時は素直に、単語登録/辞書編集から書き出し、読み込むこととする。その程度しか使ってないから。

(メモ、To Do)
これも、手動でも同期させる方法がわからなかった。無くても困らないので、機能の使用自体を取りやめる。Mail.appからは、メモとTo Doのボタンを削除してしまった。


これで数日様子を見て、来週末ぐらいにMobileMeから撤退しよう。

2012年6月15日 (金)

「にほんのボーイング727」公開

非現役のナローボディ機シリーズその3は、「にほんのボーイング727」。
新幹線に乗ると田んぼの中に立っている看板とは関係ない。

まずは100型。国内3社がそろって導入した型である。

JALは、日本国内航空(JDA)から強制移籍(リース)させられた2機を含めて、20機を導入した。新造機は、1965年から1969年までの4年間で12機を導入した。この間にJDAの2機もフリートに加わっている。その後1969〜74年の間に、ワールド航空から6機を延べ9回短期リースしている。
ピークは、1969〜71年の16機前後であるが、初号機導入からわずか7年の1972年からは急速に退役が進み、1975年には2機を残すのみとなった。1972年には、JDAの東亜国内航空への再編にあわせて、リース機2機に事故抹消となったコンベア880の保障分の1機を加えた3機が返却されている。
129席のキャパシティは幹線のみを運行する国内線には小さく、短い航続距離では国際線も近隣国に限られることから、DC-8や747の導入にあわせて退役が一気に進んだものと考えられる。ワールド航空からのリース機は、1970年前後の需給調整用と、TDA返却分の穴埋めなどが目的であったと考えられる。
残った2機は、ハバロフスク線や近距離国際チャーター用として、1988年まで運用された。

JDAは、コンベア880に続く同社飛躍の切り札として、1966年に2機を導入した。中古のコンベアに対してこちらは新造機であり、型式にはJASまで続くボーイングのカスタマーコード89が冠されている。そして、5月15日に羽田〜札幌線にデビューしたが、その一月半後の7月には、閣議了解まで繰り出しての行政指導によって、路線ごとJALに取り上げられてしまった。将来のJALへの吸収合併による経営再建を視野に入れた措置だった。
その後、業績が好転した同社は東亜航空と合併し、1972年に東亜国内航空(TDA)が発足すると、同様にJALに召し上げられ事故抹消の憂き目にあったコンベアの保障を含め、3機の727が返還された。また同時期に、JALがリースしたものと同一機体をワールド航空から1機リースしている。これらの4機は羽田〜大分線など運用されたが、TDAでは翌1973年からDC-9の導入が始まり、4機の727は1975年(度)までに退役した。
せっかく3機保有している727ではなく、競合機であるDC-9に主力機の任を託した理由は不明であるが、JALやANAが導入している機種では、再度の指導の芽になりかねないと思ったのだろうか。

ANAの100型は、1965〜67年の2年間に8機の新造機を導入している。導入1年前の1964年4月から1年間は、ボーイングから1機をリースし、JALに先制攻撃を加えた。
1969〜74年にもパシフィック・サウスウエスト航空(PSA)から3機をリースしているが、これは200型納入までの継ぎと考えられる。
退役は早く、200型の導入が進んだ1972年度に全8機が退役している。機齢5〜7年であった。当初から短期間で200型に置き換えるつもりだったのか、導入してから失敗したと思ったのかは不明であるが、導入に先立ってボーイングから1機をリースしていることや200型の怒濤の導入状況からすると、ANAが希望する納期に沿えないボーイングが継ぎとしての導入を提案した可能もありそうだ。


200型は、ANAのみが導入し、その総数は33機に上る。
新造機は、1971年8機、1972年8機、1973年5機、1974年3機と怒濤の導入が続いた。その後少し間を置いて1978年3機が導入され、27機のフリートを形成した。1972年分の途中からはアドバンス型に移行している。また納入に先立つ1969〜70年から6機をPSAからリースしている。
1973〜82年の10年間20機以上を運用しており、本格的な退役は1983から始まり、1990年に完了した。
ANAでは727に続いてトライスターの導入を進め、1978年からは747SRに移った。727の置き換えは、1970年代終盤からの斬減期は747SRが、1983年以降の本格的退役は767-200が、直接的な代替機となったと考えられる。


退役機のほとんどは解体や部品取りになっているが、ANAの200型最終導入機JA8355は、エンジン換装、ウイングレット装着などの改修(Super 27型)を受け、NHLのサンノゼ・シャークスの専用機となっている。また、同じくANAの200型JA8349の機首部分は、アメリカで解体後日本に運ばれ「キャザニア甲子園」で利用されている。

この「キャザニア」なるもの。東京にもあるらしいのだが、Webサイトを見てもどういう施設なのかピンとこない。


Boeing_727

2012年6月14日 (木)

MobileMe終了対策の覚え書きその1

MobileMe終了があと半月に迫ったところで、重い腰を上げて対策の検討開始。
ワンラウンド色々いじってみたので、最終的な方針を決めるために、一旦整理してみる。

(前提条件)

環境は、OS X 10.5.8が複数台、iPad、iPod Touch+モバイルルータあり。
OSは、特に不都合を感じないのでバージョンアップしていない。10.7は、PowerPCアプリが残っているので当面考え(られ)ない。

利用しているMobileMeの機能。

  • メール:休眠アドレスとして利用
  • コンタクト:(特に利用はしないが、同期はされてる)
  • カレンダー:(特に利用はしないが、同期はされてる)
  • ギャラリー:未利用
  • iDisk:ヘビーユーザ
  • iPhoneを探す:未利用(Touchでは使えないと思い込んでいる)
  • どこでもMy Mac:ヘビーユーザ

利用している同期の項目。

  • ブックマーク
  • カレンダーデータ
  • アドレスデータ
  • ことえりユーザ辞書
  • キーチェーン
  • メールアカウント
  • メールのルール、etc
  • メモ

(方針)
Mac OSでの扱い

  • iCloudは原則使わず、代替機能・サービスを探す
  • メールはiCloudへ移行するが、Mail.appで閲覧できない場合はWebベースで利用する。(休眠アドレスなので時々みられれば良い)
  • どこでもMy Macが使えるかどうか不明だが、使えない場合はVPNに戻る

iOS製品とのデータの同期は、MobileMe放棄後に考える。
必要であればiOS用に10.7のパーティションを用意する。または10.7への移行を真剣に考える。

(iDiskの代替)
DropBoxとSugarSyncを試してみたが、SugarSyncはメニューのショートカット表示がWinライクなのが許せないので却下。
DropBoxは、同期も素早く、安定して動いているように見える。
早速すべてのマシンでiDiskの同期を停止し、オンゴーイングのフォルダ・ファイルからDropBoxへ移行。移行していないフォルダ・ファイルは、各マシンにiDiskのディスクイメージが残るので、必要に応じて追加で移行すれば良い。

(同期の代替)
基本的には、同期している項目の設定ファイルやデータファイルを特定し、そのファイルをDropBoxを使って同期さようという考え方。
設定ファイルやデータファイルの特定は、アップルのサポートにある「Mac OS X 10.4 の重要なファイルをバックアップおよびリストアする方法」という記事が参考になった。
まず、対象のファイルをコピーしてバックアップ。パーミッションを読み出しのみにして保護。
次いで、対象のフォルダ・ファイルをDropBoxにもコピーし、対象のフォルダ・ファイル本体はDropBox内の同期ファイルのシンボリックリンクに置き換えた。当初はFinderのエイリアスを置いてみたがほとんど設定やデータ自体が失われてしまい不可。シンボリックリンクに変えることで、単体のマシンとしては一応機能するようになった。
以下、各項目ごとに同期できるかどうかをチェックした結果と考察。

(ブックマーク)
対象ファイルは、

  • ˜/ライブラリ/Safari/Bookmarks.plist

このファイルは、起動した時には以前のブックマークが現れてうまく動いているように見えるが、ブックマークの追加などの変更を加えると、シンボリックリンク・ファイルが対象ファイル本体に置き換えられてリンクが失われるため、DropBox内の同期用ファイルには結果が反映されない。置き換えられた対象ファイルは、作成日が変更実施時点になっている。つまり、ファイルが上書きされるのではなく、一旦破棄された後に新規に作成されるという動作をしている。
そこで、置き換えられた対象ファイルをDropBoxに手動でコピーし同期させ、もう一方のマシンで、同期されたファイルを対象ファイルに上書きコピーしてみると、結果がきちんと反映された。リンクを使わずに、定位置にある対象ファイルとDropBox内の同期ファイルをきちんとコピーしてやれば同期を実現できそうである。
手段としては、フォルダアクションとアップルスクリプトの組み合わせか、はたまたフォルダをシンクロさせるアプリを使うか。

(カレンダーデータ)
アップルの記事では「iCalで書き出し、iCalで読み込め」とあるがそれでは同期できないので、次のフォルダを対象フォルダとしてみた。

  • ˜/ライブラリ/Calendars/

いくつかイベントの追加・削除をしてみたが、うまく行っているように見える。対象フォルダは、フォルダ内に各イベント毎のファイルが生成されるタイプのためとうまく行っている思われる。

(アドレスデータ)
カレンダーデータと同じく「アドレスブックで書き出し、アドレスブックで読み込め」なので、次のフォルダを対象フォルダとしてみた。

  • ˜/ライブラリ/Application Support/AddressBook/

カレンダーデータと同じ理由で、うまく行っているように見える。

(ことえりユーザ辞書)
対象ファイルは、

  • ˜/ライブラリ/Dictionaries/ユーザ辞書

単語の追加は同期されるようだが、削除が反映されないといった不安定な状態。ユーザー辞書がファイルではなくパッケージであることが原因かとも思ったがが、パッケージを開いてみると個々のファイルもきちんと同期されているので、これが問題でもなさそう。
登録されている単語は20数個で、どうしても我慢できない時しか登録しないので、あきらめてもいいかという感じ。
Preferencesフォルダにある、com.apple.KotoeriWordRegister.plistやcom.apple.JapaneseAnalysisファルダを同期してみたりしたが、ますます動作が妖しくなるので放棄。

(キーチェーン)
対象ファイルは、

  • ˜/ライブラリ/Keychains/login.keychain

状況はブックマークと同じ。同期されたファイルをコピーしてやれば、変更は反映される。

(メールアカウント)
対象ファイルは、

  • ˜/ライブラリ/Preferences/com.apple.mail.plist

状況はブックマークと同じ。
ただし、他の情報も入っていそうだし、頻繁に同期する必要もないので、所在がわかっていれば十分かも。

(メールのルール、etc)
対象ファイルは、

  • ˜/ライブラリ/Mail/MessageRules.plist
  • ˜/ライブラリ/Mail/SmartMailboxes.plist
  • ˜/ライブラリ/Mail/Signatures/
MessageRules.plistとSmartMailboxes.plistは、ブックマークと同じ。ルールは頻繁に同期するものではないし、スマートメールボックスは使っていないのでパスかな。
Signaturesフォルダは、同期できている様子。

(メモ)
対象ファイルは、

  • ˜/ライブラリ/Mail/Mailboxes/Notes.mbox/

フォルダの中に個別ファイルの型式なのでうまく行きそうだが、ファイルは存在するもののMail.appには表示されない。

(To Do)
Mail.app関連ではTo Doもあり、MobileMeでは同期されていたのだが、どこにファイルがあるのかよくわからない。
To DoはiCalと共用なので、カレンダーの方で同期されているかをチェックしたが、イベントは同期されてもTo Doは同期されていないみたいだ。
これも無くても困らないので、追求は挫折。


さて、どうするか...

「にほんのコンベア880」公開

非現役のナローボディ機シリーズその2。
2番目は「にほんのコンベア880」。

散々な評判の機種である。
JALに8機、日本国内航空(JDA)に1機の合計9機導入された。

JALは、DC-8より小振りな国内線や近隣国への国際線に適した中距離用機材として導入した。JDAの1機を加えて9機のフリートを形成したが、その操縦特性になじめず3機が事故抹消、残りの6機も1971年までに最長10年で退役となっている。

退役した6機は、1機が事故抹消されているが、残りの5機は1980年代の半ばまで運用されている。上手に運用すれば大過なく使えるとも考えられるし、便数の少ないオペレーターでベテラン・パイロットが操縦したといった要素があったのかもしれない。

また124席という規模は、1964〜5年には727やDC-9が3発で実現した規模である。機種統一という観点からは144席のDC-8-30/50も選択肢になるはずで、受注獲得に躍起になっていたコンベア社の提示する価格に目が眩んで買ってはみたものの、使いづらい上にキャパシティーも中途半端で、多いに後悔したことでしょう。

代替機種は、規模から言えば727-100であるが、JALの727は1967年頃までに導入を終えており、1970年前後に導入された中距離機という観点からはDC-8-61が直接的に、間接的には60シリーズの導入で余裕ができたDC-8-30/50が当てはまるのだろうか。

JDAの1機は、元スイス航空の中古機ではあるが、727とともに同社飛躍の期待を込めて導入された。しかし、閣議了解まで繰り出しての行政指導によりJALに移管され、しかもその4ヶ月後には訓練中の事故で失われるという、不運な機体であった。

2012年6月13日 (水)

「にほんのダグラスDC-8」公開

非現役のナローボディ機シリーズその1

コミューター機の検討が終わったので、1970年以降のナローボディ機に挑戦。
最初は、導入時期の古い順ということで、「ダグラスDC-8」。

旅客型は、合計48機が導入された。在籍数のピークは1972〜76年の40機前後で、その後徐々に退役が進み、1987年に退役が完了した。

32型はターボジェット時代の決定版で1960年に3機が、33型はその航続距離延長型で1960〜61年に2機が導入された。しかし、5機体制が出そろった2ヶ月後にに32型1機が事故抹消となり4機体制となってしまう。これら4機は1974年(度)までおよそ15年間使用された。

53型は33型をターボファンに換装した型、55型はその航続距離延長型である。1962〜67年の5年間をかけて10機、更に先の事故抹消32型を再生した53型を加えた11機が導入された。2機が事故抹消、1機が貨物型に改修されたが、他は1981年まで使用された。

30シリーズ、50シリーズは144席の仕様であった。

61型は、234席を誇る中距離型で、1969〜71年の3年間で新造機9機、イースタン航空の中古機7機の16機を集中的に導入した後、1973年にもイースタン航空の中古機を2機導入し、18機のフリートとした。また、1972〜3年からはイースタン航空から5機をリースで導入し、ピークの1974〜5年は23機を運用した。その後リース機を徐々に返却した後、1980年から所有機の退役が始まり、1987までにすべてが退役した。

62型は、61型ほどのストレッチはせずに航続距離の延長に重点を置いた型で、JALでは165席の仕様であった。1968〜71年の3年間で10機が導入され、1983年から退役が始まり、61型と同じく1987まで運用された。

旅客型の国際/国内別の運用状況に関する資料が見あたらないので確たることは言えないが、導入時期との関係で直接の代替機種を探ると、30/50シリーズは747-100/200/SRやDC-10で、60シリーズは747-300やDC-10、767-200/300で置き換えられたと考えられる。


貨物型は、合計11機が導入された。

8F-55型は貨客混載型で、1965〜66年に2機が導入された後、1970年代からは貨物専用として運用された。その後1970年前後に3機を短期リースで導入した他、1977年には55型を一旦売却し貨物型に改修後3年間リースしている。

62AF型は、長距離仕様である62型の貨物型で、1968~72年に5機を導入している。

貨物型のピークは、1972〜79年の7機で、8F-55型と62AF型の新造機数と同じである。短期リース機は62AF型納入までの継ぎ、55型改修機は1977年に事故抹消となった62AF型の補充であったと考えられる。

747貨物型の導入進捗にあわせるように、1980年以降退役が始まり、旅客型と同じく1987年(度)に退役が完了した。


旅客型、貨物型共に、1960年代にフリートを形成し、1970年代は747の初期型とともにJALフリートの中核を形成した機種であったことがわかった。


Douglas_dc8

2012年6月12日 (火)

MD-90の退役が進行中

3月より保管中だったJA8004が、5/22付で登録抹消され、デルタ航空に移籍した。新しいレジは、N940DNである。
JALのMD-90は全機にデルタ航空の予約が為されているようで、JAレジ順にNレジが予約されているらしいが、必ずしも予定通りに事は運ばないようである。備考欄に予約されているNレジを記したが、既に2機が他の機に番号を奪われN9xxDNとしか表記できなくなっている。

その他、駐機スポットでの目撃情報が多いJA8029, JA002D, JA005Dの3機を保管扱いとした。JA002Dなどは1月から運用されていないのに、3月に運用を外れたJA8004に先を越されている。色々あるのでしょう。

この結果MD-90は残り9機。今年(度)中に全機退役の予定だそうだが、そんなにたくさん737-800は来るの?

ということで、「にほんのマクドネル・ダグラスDC-9, MD-80/90」を更新。


DC-9シリーズは既にグラフを描いていたが、区分を細かくして描き直したので、再度くわしく考察。

DC-9-41は、1974年から導入が始まり、5年を要して1979年に全22機機が出揃っている。DC-9-31/51は、発注した新造機到着までの継ぎで、31型は41型初期グループ納入までの継ぎ、51型は41型最終グループ納入までの継ぎとしてNレジで短期リースされている。

しかし41型は22機が出揃った2年後の1981年には初期機の退役が始まり、同時により大型のDC-9-81(Super 80)の導入が始まっている。
41型の当初の退役数と81型の導入数がほぼ同数で、1990年まで両機の合計が21機と一定であることから、81型は41型の一部をより大型の機材に置き換えるために導入された考えられる。
なお、TDA/JASが導入したDC-9シリーズの席数は次のとおり。

DC-9-41Y128
DC-9-81Y163
MD-81Y163
MD-87Y134
MD-90P18 Y132 計150

DC-9-81は1981年の1年間で8機の導入を終え、その4年後の1985年からMD-81の導入が始まる。MD-81の導入は、1994年までの10年間をかけて徐々に行われ、18機が導入された。
なお、DC-9-81とMD-81は、一般には途中で呼称が変わっただけの(ほぼ)同一の機種であるが、TDA/JASの場合、81型は41型と同一の操縦資格で操縦できるコクピットを装備していたのに対して、MD-81では本来のより進化したコクピットを装備していた。

MD-81に遅れること3年、1988年からMD-81の短胴型であるMD-87の導入が始まり、MD-81より2年早い1992年までに8機の導入を終えた。
またMD-81の導入が終わった翌年の1995年からは、MD-81を更に近代化したMD-90の導入が始まる。MD-90は1998までの4年間で16機が導入された。

MD-87の座席数はDC-9-41とほぼ同じであり、MD-87の導入とほぼ同時に残りのDC-9-41の退役が始まっていることから、MD-87はDC-9-41の置き換えを主目的に導入されたと考えられる。

ただし、DC-9-41の退役が13機であるのに対して、MD-87は8機の導入であり、一部は機材の大型化を図ってMD-81又はMD-90で置き換えられたと読める。
この時期には、DC-9-41の退役に続き、DC-9-81の退役も始まった。41型に操縦資格を揃えた81型がパイロットの確保上問題になったのであろう。

MD-87とMD-90の導入数計24機は、DC-9-41とDC-9-81の残存数21機とほぼ符合する。
これらのことから、MD-81はフリートの拡大を主目的に、MD-90はDC-9-41の大型化とDC-9-81の置き換えを主目的に導入されたと考えられる。

それにしても、DC-9シリーズのグラフは水平な部分が多い。1980年代はDC-9-41の導入数に等しい21〜22機、1990年代はMD-81の導入でフリートを拡大し、DC-9-41/81の退役が終了した2000年代は42機、というのがTDA/JASのジェットフリートの規模であったことがわかる。

JALとの統合後、MD-81の一部がJEXに移籍したが、その後ボーイング製への機種統一のため急速な退役が進んでおり、おそらくは今年(度)中に日本の航空会社からダグラス機が消えることとなろう。


douglas_dc9

2012年6月 9日 (土)

1970年以降のにほんのコミューター機、40席以上篇

70年以降に現役だった40席以上のコミューター機のまとめ。
言い換えると、40席以上で、1列4席の座席配置。日本での登場順に並べると次のとおり。

フォッカーF27フレンドシップ44席1958年就航ターボプロップ
日本航空機製造YS-1164席1964年就航ターボプロップ
フォッカー5056席1987年就航ターボプロップ
ボンバルディアCRJ50/70席1992年就航ジェット
ボンバルディアDHC-8-Q30056席1989年就航ターボプロップ
ボンバルディアDHC-8-Q40074席2000年就航ターボプロップ
エンブラエルERJ-170/17576/84席2004年就航ジェット

グラフを見て一番感じることは、YS-11の後継機種はDHC-8-Q300/400という定説は疑わしいこと。

確かに、座席数64席に匹敵するターボプロップ機はQ400しかないが、Q300, CRJを含む新世代機の導入が始まる以前に、YS-11の退役は終盤に差し掛かっており、機数でも席数でも2000年前後に大きな谷ができてしまっている。
これを正しく読み取ると、YS-11を置き換えたのは737-400/500, MD-81/87/90, A320など120〜160席のナローボディ機であり、新世代のコミューター機は2000年以降に新たな路線、新たな運用方法で導入が始まったとみるべきであろう。

すなわち、かつてYS-11が就航していた羽田、伊丹などと地方都市を結ぶローカル線は、その需要の伸びに応じて、また地方空港の滑走路の延長に伴って、ナローボディ機、場合によっては767,A300などワイドボディ機によって代替されていった。一方新世代のコミューター機は、地方都市間に発掘した新たな需要に適した機材として、あるいはローカル線の多頻度運行など新たな運用方法に適した機材として、導入されていったという見方である。


機種ごとの動きを見ていくと、各機毎の記事で考えたことでもあるが、まずDC-3をヘロン、ノール、コンベアライナーなどで置き換え、間にフレンドシップやバイカウントなどの中継ぎをはさみながら、最終的にYS-11に置き換えていったのが1960年代の動き。1960年代後半からは、727やDC-9によるジェット化も始まっていた。
その後1980年にかけて、需要の増大にあわせてYS-11の中古機導入が行われるが、やがてローカル線のジェット化に伴い、YS-11の退役が始まる。

1990年代には、小牧空港をベースとする中日本エアラインサービスによって、新たな都市間輸送を開拓するためにフォッカー50が導入されたが、少数勢力に終わった。同時期には、YS-11を使って千歳、福岡などを拠点とする都市間輸送の路線開拓が始まり、日本近距離航空(NKA→ANK)、日本エアコミューター(JAC)などが設立され、YS-11も移管されていった。

そして2000年代に入って、DHC-8-Q300/Q400, CRJ, ERJ170/175など新世代のコミューター機の登場を受け、ANK, JACのYS-11を置き換えたり、新たな地域航空会社の設立に伴って導入されたりし、現在では機数、席数ともにYS-11の最盛期に迫る勢いを見せており、状況はなお進行中である。

DHC-8-Q300/Q400がYS-11の後継機種となったのは、この最後のフェーズにおける約20機の代替のみであり、残る約60機のYS-11はナローボディー機によって代替されたと考えられる。
YS-11は単に小型の航空機であって、現代の区分で言うコミューター機ではないことがわかった。

ということで、特に更新はないが、関連する機種のリスト。

にほんのノール262
にほんのコンベア240/440
にほんのフォッカーF27,フォッカー50
にほんのビッカース バイカウント
にほんの日本航空機製造YS-11
にほんのボンバルディアCRJ
にほんのボンバルディアDHC-8
にほんのエンブラエルERJ-170/175

commuter_o40_planes

commuter_o40_seats

2012年6月 7日 (木)

航空各社の塗装の変更時期(備忘録)

日本航空(JAL)
 初代1952年DC-4B導入時
 鶴丸1970年B747導入時
 ランドー(鶴丸2代)1990年B747-400導入時
(太陽の)アーク2002年JASと経営統合時
 新鶴丸(鶴丸3代)2011年会社更生終了時, 初号機:B767-300/ER, JA654J

日本エアシステム(JAS)
 TDA Oramge1971年東亜国内航空(TDA)発足
 Red & Green1974年DC-9導入時
 TDAレインボー1980年A300導入時
 JASレインボー1988年日本エアシステム(JAS)に社名変更
(太陽の)アーク2002年日本航空(JAL)と経営統合
2004年日本航空ジャパン(JAL Domestic)へ社名変更
2006年日本航空(JAL)に吸収合併
 新鶴丸2012年会社更生終了時, 初号機:B777-200, JA8977

全日空(ANA)
初代1958年全日本空輸(ANA)発足
モヒカン1969年B737導入時
トリトン(+全日空)1983年B767導入時
トリトン(+ANA)2003年公式略称を全日空からANAに変更時

2012年6月 6日 (水)

IBEXの新造機がひっそりと到着

IBEXエアラインズのボンバルディアCRJ700の4号機、JA08RJが、5/28に仙台に到着した。従来通りの渋い塗装での飛来である。「ばんばろう!東北」はまだプリントされていない。

地域航空会社の場合、就航までにどのぐらいの時間がかかるのだろうか?

ということで、「にほんのボンバルディアCRJ」を更新。

2012年6月 5日 (火)

「にほんの日本航空機製造YS-11」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその4

真打ち「にほんの日本航空機製造YS-11」。

JASグループは、総計49機を導入した。
内訳は、日本国内航空(JDA)が19機、東亜航空(TAW)が14機、合併後の東亜国内航空(TDA)が導入したものが18機。この内、JDA・TAW両社が日航製より短期リースした試作2号機1機、TAWがJDAより短期リースした1機の都合2機がダブルカウント。
JDAとTAWを比べると、導入機数、導入時期から、JDAの方がやや積極的に見える。
YS-11以前は、JDAが若干数の727を保有していた以外は、両社ともヘロンやコンベア240などのレシプロ機を運用しており、YS-11が飛躍の機種となっている。

また、1973年の製造終了までに導入されたものが33機、製造終了後に中古機として導入されたものが16機となっている。製造終了前の33機にも、導入前に日航製より南米へ短期間リースされた機が5機存在するが、これは日航製の営業活動に協力したとも解釈できる。
在籍数のピークは1980年で42機、その後1982年までが40機である。

型式別では、試作/100型が22機、300/600型が6機、200/500型が21機。
コンビ型である300/600型は、新造2機、中古4機であるが、新造の1機は1975年、もう1機の新造機と中古の1機が1981年と比較的早期に退役し、残る中3機が1990年に退役した。
改良型である200/500型は、21機中12機が日本エアコミューター(JAC)に移管され、2006年まで生き残った。JAS所属機は1993年までに退役している。
100型は、TAW導入機が1980年代はじめから退役が始まり1980年代末に退役が終わっているのに対して、JDA導入機は1980年代末から退役が始まり、200/500型が退役やJACへの移管を終えた後も生き残り、1996年のJASラストフライトを務めている。JDA仕様の方が使い勝手が良いと言ったことがあったのだろうか。

JACへの移管は1988年から始まり1994年に終わった。JAC所属機は、型式も500型に統一され、JASとは少し異なるJACレインボーに塗られた12機のフリートを形成した。国内定期路線最後ともなったラストフライトは、2006年であった。


日本航空クループでは、日本航空は45-47体制により国内ローカル線に就航できず、JDAからウェットリースした1機を福岡〜釜山線に運行したのみであった。
南西航空(SWAL→JTA)は、当初の主力機として8機を導入した。内訳は新造5機、中古3機であったが、最後の中古機導入の4年後にあたる1979年以降、TDAへ2機を売却、1機をリースしてフリートを縮小した。ラストフライトは1998年であった。


ANAグループは、総計44機を導入した。
内訳は、1973年の製造終了までに導入されたものが39機、製造終了後に中古機として導入されたものが4機、製造終了後に日航製より短期リースした試作機が1機。
ANAは、JASと異なり、YS-11以前にもバイカウントやフレンドシップなどのターボプロップ機を導入していたが、YS-11と同時に727を導入することで、飛躍していった。

型式別では、試作/100型が11機、200/500型が31機、300/600型は中古機のみの2機。
改良型である200/500型を中心に導入したこと、中古機をあまり導入しなかったことなど、JASに比べると計画性が感じられる。
在籍数のピークは1980〜82年の34機であった。

興味深いのは、新造機で導入された最後の5機は、1979年までに、導入後3〜7年でSWAL、TDA、海保へ移籍していることである。これらの5機のうち4機は日航製からのリース、1機はまだ珍しかったリース会社からのリースであり、日航製の救済的な側面があったのかもしれない。ただしこれら5機を手放した後で、中古機を4機導入し、日航製から試作1号機のリースを受けていることから、自社の運用上、全く不要だった訳ではないようである。
リセールバリューのあるものから処分していくところは、昨今のA320の動きと似ている。

日本近距離航空(NAK→ANK)への移管は、JASからJACへの移管より早く、1978年から始まっている。
JACのように機種統一を図るのではなく、各型式を順次移管していった。そして1991年に、ANAでの運行を打ち切るように残る数機を一挙にANKに移管し、ANAはラストフライトを行った。NAK/ANKへは、ANAの導入数の2/3にあたる合計28機が移管された。

NKA/ANKへの移管の方法は、海外へ売却したものをNKA/ANKが買い戻したり、一旦NKA/ANKにリースした後ANAに戻したり、ANKが購入した中古機がANAへ移籍したりと、バラエティーに富んでいる。

ANKからの退役は、1990年代後半から加速し、ラストフライトは、JACより一足早い2003年であった。


官公庁・軍用では、民間の1/3にあたる34機が導入されている。
内訳は、海保が5機、航空局/航空大学校が6機、空自が13機、海自が10機。空自は全機が現役、海自は退役進行中、海保、航空局のJAレジ機は寿命を全うして退役している。


namc_ys11

2012年6月 4日 (月)

737, 777の到着、就航、他

737の動き。

JALグループの800型、JA343Jが6/2に到着。羽田に到着したことから国内線用のJEX所属機と思われる。
またJEXでは、小糸さん家の都合のオールエコノミーV31仕様を、Jクラス装備V30仕様に改修する作業が始まったようだ。JA324J、JA325Jは改修済みの模様。その他、JA326J、JA333Jなども改修されているかもしれない。

スカイマークでは、先日到着した800型、JA73NPが、5/28の福岡便より早速就航。

777の動き。

ANAに先日到着した200/ER型、JA742Aが、5/31の那覇便から就航。こちらもすばやい。

JALでは、200/ER型、JA708Jが、5/31に新鶴丸初のoneworld塗装で登場。他の加盟社の特別塗装も調べてみたが、oneworldの特別塗装って淡白なのね。

ということで、「にほんのボーイング737」「にほんのボーイング777」を更新。

2012年6月 3日 (日)

「にほんのビッカース バイカウント」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその3

その3は「にほんのビッカース バイカウント」。

フレンドシップと同時期、ANAが合計11機を導入した。
世界初のターボプロップ機であり、1948年から開発が始まり、700型が1953年から運行を開始した。しかし、YS-11やフレンドシップも搭載したロールスロイス・ダートはまだ出力が低く、700型で53席のキャパシティに対して4発を要した。代表的な型の出力は次のとおりであり、バイカウント開発時のダートエンジンは、YS-11開発時の半分程度しかなく、4発を選択せざるを得なかったことがわかる。

Viscount 700:53席:Dart Mk.506:1,547 hp×4=6,188 hp
Viscount 810:71席:Dart Mk.525:1,990 hp×4=7,960 hp
F27-200:44席:Dart Mk.532:2,250 hp×2=4,500 hp
YS-11-100:64席:Dart Mk.534:2,660 hp×2=5,320 hp
YS-11A-200:64席:Dart Mk.542:3,060 hp×2=6,210 hp

ANAは、JALへの対抗上からも、60席級のターボプロップ機を切望していたようで、1960年には、翌年の800型受領までの継ぎとして、ビッカース社より700型を2機リースしている。
翌1961年からは、68席仕様の800型が9機導入される。そして、バイカウントが9機揃った2年後の1965年には、52席で空冷星形エンジンのコンベア440型が就役わずか4〜6年で退役している。

これで、44席のフレンドシップと68席のバイカウントによるターボプロップ・フリートが完成したかに見えたた。しかし、1965年に、双発で64席のYS-11が登場すると、4発で開発時期の古いバイカウントは、コンベアと同じように、就役7〜9年で退役してしまう。ANAの資料によれば有償の運行は1969年までのようである。

退役後のバイカウントは、インドネシアやコロンビアへ渡るが、2機は売却されることなく機齢8年で解体されている。英国航空(BA)では1980年代まで使用されたようだが、1970年時点で既にリセール・バリューがなくなっていたことがわかる。

ということで、コンベアライナーに続き、「70年代以降」という条件からはスカでした。

2012年6月 2日 (土)

「にほんのフォッカーF27, フォッカー50」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその2

その2は「にほんのフォッカーF27, フォッカー50」。

F27フレンドシップは、ANAがYS-11導入前夜の1960年代前半に25機と大量導入した。
F27の導入は1964年末で終了するが、翌1965年からANAはYS-11と727-100の導入を開始する。これら2機種が一定数に達した1970年以降、F27は機齢10年前後で放出されていく。

即納可能で、ある程度実績のある機種として選ばれたと考えられるが、YS-11が実用に足るとみるやお払い箱になったのか、44席というキャパシティーが都市間輸送には小振りだったのか。
YS-11のライバルとして、フレンドシップとともに名前が挙げられる機種にアブロ748がある。フレンドシップが1958年の運行開始で44席、アブロが1962年の運行開始で40〜58席、YS-11が1965年の運行開始で64席という数字を並べてみると、1960年前後の段階ではフレンドシップしか選択肢はなく、キャパシティ云々は言っていられなかった事情がわかる。やはり中継ぎだったとみるべきだろう。

退役後のフレンドシップは、ドイツ、インドネシア、パキスタンなどに渡り、パキスタン国際航空のものは近年まで飛んでいたようだ。

その20年後、中日本エアラインサービスの立ち上げに際して、フレンドシップを近代化したフォッカー50が導入された。小牧をハブとする地域航空会社としてスタートしたため、導入機数は4機と少なかったが、フレンドシップの特徴的な姿が日本の空に戻ってきた。大型化され56席となり、新しいエンジンに6枚翅のプロペラも装備されたが、1950年代風の段付きの機首の形状はそのままである。

中日本エアラインサービスがエアセントラルと名を変え、ANAの100%子会社としてANAウイングスに統合されていく過程の中で、機種統一のためにDHC-8-400に置き換えられ、15年前後の機齢で退役していった。初号機であるJA8875は、2007年の退役まで赤い旧塗装で過ごした。

退役後のフォッカー50は、まだ機齢20年前後であり、コンゴ、スウェーデン、インドネシア、モンゴルの空で現役である。

2012年6月 1日 (金)

「にほんのコンベア240/440」公開

非現役の40席以上のコミューター機シリーズその1

40席未満のコミューター機のグラフが描けたので、40席以上のコミューター機に着手。
最初は「にほんのコンベア240/440」。

空冷二重星形エンジンである。ダブルワスプである。
こんな大時代なものが70年代も飛んでいたのかと思ったが、残っていたものもストア状態でほとんど飛んでいなかったようだ。

全部で20機が導入されたが、後にTDAとなる日本国内航空(JDA)と東亜航空(TAW)がその大半の16機を使用していた。
TAWは退役時期が70年代に入ってからと遅く、売却先を失ったのか、その多くが各地の屋上に展示された後に解体されている。一方、JDAは66〜67年頃に売り抜けているが、その後航空会社で使われることなく解体された機体も多い。

南西航空は、その立ち上げにあたって、JDAの3機をJALを通してリースし2年ほど使用した。

ANAは、ストレッチ型である440型を4機導入したが、これも65年までに退役させている。

いずれもYS-11に置き換えられていったものと考えられるが、振動、騒音が大きく、整備にも手間がかかる星形エンジンであることを思えば当然か。

コンベア・ライナー自体もターボプロップ化されるが、より設計の新しい国産機であるYSがあったわが国では、導入や改修を行うユーザーはいなかった。

ということで、「70年代以降」という条件からはスカでした。

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